ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンラート2世」の意味・わかりやすい解説
コンラート2世
コンラートにせい
Konrad II
[没]1039.6.4. ユトレヒト
ザリエル朝初代のドイツ王 (在位 1024~39) ,イタリア王 (在位 26~39) ,神聖ローマ皇帝 (在位 27~39) 。フランケン公国のシュパイエル伯ハインリヒの長男で,オットー1世 (大帝) の玄孫。 1024年ザクセン朝最後の皇帝ハインリヒ2世 (聖王)の死後の国王選挙で王に選ばれた。多くの反対者を押え,ミラノで王冠を受け (26) ,翌年3月ローマで帝冠を受けた。2度のイタリア遠征で,北イタリアの反ドイツ勢力を征服,その地の司教にドイツ人を推し,通婚政策によって王権の拡充強化をはかった。 30年ポーランド王の侵入を退け,32年ブルグンド王ルドルフが死ぬと,前皇帝ハインリヒ2世との協約を楯にとってブルグンドを併合,イタリアにおけるドイツの勢力を再建した。国内政策では,遺産相続と反臣の所領没収によって王領地を増大させ,また有力司教職を帝国直轄として部下を配するとともに,下級家臣を保護する政策をとり,国王に対抗する諸侯勢力を抑圧,次代のハインリヒ3世とともに,帝権の充実した時代を築き上げた。
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