ブルグント(読み)ぶるぐんと(英語表記)Burgund

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルグント」の意味・わかりやすい解説

ブルグント(民族)
ぶるぐんと
Burgund

ゲルマン民族のうちの東ゲルマン系の一集団。ポンメルン東部の原住地から、4世紀後半にはライン川中流域に進出、ローマと同盟関係に入り、413年グンダハル王のもとでブルグント王国を建てたが、436年ローマの将軍アエティウス指揮下のフン人傭兵(ようへい)軍に敗れて滅亡した。中世ドイツの叙事詩ニーベルンゲンの歌』はこの史実素材としている。グンダハルの孫グンドベッヒは、敗残の民を率いてサボイア地方に移り、443年王国再建。その子グンドバードは、父王の死後分裂した王国を再統一し、息子ジギスムントと東ゴート国王テオドリックの娘との結婚により東ゴート王国との提携を図り、西ゴート人からプロバンス地方を奪い、ブルグント法典を編纂(へんさん)させるなど、王国の最盛期を実現した。しかし、東方および南方への進出を企てるフランク王国からの圧迫を受け、東ゴート王国の支援を受けてこれと対抗しようとしたが、結局534年、クロタール1世をはじめフランク諸王の連合軍に敗れ、国王グンディマルは戦死し、フランク王国に併合された。

[平城照介]


ブルグント(フランスの地名)
ぶるぐんと
Burgund

フランス中東部の歴史的地方名、旧州名ブルゴーニュのドイツ語名。5世紀後半ゲルマン系のブルグント人が移住し、ブルグント王国を建国した。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「ブルグント」の意味・わかりやすい解説

ブルグント

ゲルマン人の一部族。バルト海南岸を原住地とし,413年西進してライン上・中流域に定住,437年国王グンターがフン族に敗死して衰えた(《ニーベルンゲンの歌》の素材となった事件)。443年東ガリア,スイス地方に移ってブルグント王国を建設したが,534年フランク王国に併合された。のちその旧領の一部はブルゴーニュ公国となった。
→関連項目民族大移動

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブルグント」の解説

ブルグント
Burgund

ゲルマンの一部族。原住地はポメラニア東部,バルティック海沿岸地方。西南に進出して,4世紀頃ライン川のヴォルムス付近に移動,ローマと同盟関係を結んだ。フンとの激戦に敗れ,国王グンテルを失った(『ニーベルンゲンの歌』の素材)。のちサヴォイア地方(ローヌ,ソーヌ,レマン湖間)に王国を再建(443年)。西ゴートからローヌ東岸のプロヴァンス地方を獲得(510年),その勢力は時にスイスからフランス東南部一帯に及んだが,534年フランクに滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内のブルグントの言及

【ゲルマン人】より

…そのためシュタムの多くは,タキトゥス時代のキウィタスに比し,実力ある特定の王または王族,特に軍指揮者を中心とした政治的・軍事的統制力の強い部族集団という性格を帯びていた。こうして4世紀に入ると,ゲルマン人の全体は,大きく分けて東ゲルマン,西ゲルマン,北ゲルマンの三つの部族群に分類されることとなるが,中でも東ゲルマン群に属する諸部族,すなわち東ゴートOstgoten(Ostrogothae),西ゴートWestgoten(Visigothae),バンダルVandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobarden等のシュタムの中へは,現在のロシア南部,東方ステップ地帯にいた種々の異民族・異人種の要素が色濃く混入したため,そこではいち早く騎馬を重視し弓矢を重視する東方独特の兵制,装備,戦術がとりいれられ,さらに古い首長制の代りに,軍王的性格をもつ新しい王権の伸張をみた。やがて民族大移動期に展開する東ゲルマン諸部族のあの活発かつ遠距離への迅速な移動の可能性は,一つにはこうした歴史的背景があったせいである。…

【民族大移動】より

…その一つは,移動前,ゲルマニアの東部にいた東ゲルマン諸族,次はその西部にいた西ゲルマン諸族,そしていま一つは北方スカンジナビア半島やユトランド半島にいた北ゲルマン諸族である。東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。…

【メロビング朝】より

…その結果,フランキアには,ランス,オルレアン,ソアソンおよびパリを,それぞれ王都とする分国が成立し,この地域の分有こそが同朝の王の正統性のあかしとなり,またアクイタニアについては,オルレアン以外の諸分国が飛領として所有した。東ゴート王テオドリックの死(526)後,フランク王国は南下政策に転じ,ブルグント王国征服(532か533)と東ゴート王国からのプロバンス割譲により,西ゴート領セプティマニアを除く,ガリア全土を掌握した。ライン川以東でも,ランスの歴代の諸王がチューリンゲン,バイエルンおよびイタリア遠征を行い(531,539),さらにビザンティン遠征を計画するなど,ガリアの枠を超えた帝国政策を展開した。…

※「ブルグント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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