ゴードン暴動 (ゴードンぼうどう)
Gordon Riots
イギリス,ロンドン史上最大の民衆暴動。1778年カトリック教徒の身分上の差別がはじめて一部撤廃されたことに対し,ジョージ・ゴードン卿(1751-93)の率いるプロテスタント協会が反対運動を起こした。80年6月2日同協会の呼びかけによる請願行進が行われ,5万とも6万ともいわれる人々が議事堂を取り巻いたが,そのうちの一部が暴徒化し大規模な暴動事件をひき起こした。カトリック教会や学校,富裕なカトリック教徒の店舗や住宅,さらに有力政治家の邸宅などが次々に襲撃され,一時はイングランド銀行も暴徒の攻撃目標になった。また市内の監獄が襲われ,2000人近くといわれる囚人が解放された。軍隊が暴動の鎮圧に成功するのは,事件発生1週間目の8日のことだった。死者は確認されただけで285人。逮捕者は458人,うち25人が処刑された。ゴードン卿は暴動に対する責任はなかったとされ,無罪放免になった。
→カトリック解放法
執筆者:見市 雅俊
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「ゴードン暴動」の意味・わかりやすい解説
ゴードン暴動【ゴードンぼうどう】
1780年,ロンドンで発生した英国史上最大の暴動。1778年カトリック教徒に対する差別が一部撤廃されたことに怒ったジョージ・ゴードン卿がプロテスタント連合に働きかけて反対運動を組織したのが,その発端。1780年6月2日,協会の呼びかけに応じたおよそ6万近い群衆が請願をたずさえて議会を取り巻き,その一部は暴徒化してカトリック教会,学校,金持ちのカトリック教徒の住宅や店舗を襲い,イングランド銀行も攻撃目標にされ,また市内の監獄から2000人近い囚人を解放した。鎮圧にはおよそ1週間かかり,死者は確認数285人,逮捕者は458人を数えた。責任を問われて処刑されたものは25人。ゴードン卿は無罪放免された。
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世界大百科事典(旧版)内のゴードン暴動の言及
【カトリック解放法】より
…次いで名誉革命後の[ジャコバイト]の反乱に対応して制定された一連の刑罰法によって,抑圧はいっそう強化され,とくに信徒が住民の8割を占めるアイルランドで苛酷をきわめた。18世紀後半には上記の諸法の適用も緩和され,ゴードン暴動(1780)のようなプロテスタント側の反発・偏見も見られたが,1778‐93年に一連のカトリック救済法が制定された。だが併合法(1800)によって自治を奪われたアイルランドの不満は強く,同地の信徒は,1810年代にはホイッグ政府が示した妥協的なカトリック解放案に激しく反発した。…
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