イングランド銀行(読み)いんぐらんどぎんこう(英語表記)The Bank of England

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イングランド銀行」の意味・わかりやすい解説

イングランド銀行
いんぐらんどぎんこう
The Bank of England

イギリス中央銀行。その権威のゆえに「ザ・バンク」The Bankと尊称される。また、ロンドンの本店所在地にちなんで「スレッドニードル街の老婦人」The Old Lady of Threadneedle Streetの名がある。イングランド銀行券は、連合王国United Kingdomを通じての法貨legal tenderである。ただし、スコットランド北アイルランドでは独自の発券銀行が存在し、それらの銀行券もイングランド銀行券と相並んで流通している。とはいえ、それらの保証準備発行額はごく限定されたもので、それを超える発券にはイングランド銀行券による100%準備が必要とされている。

[鈴木芳徳]

歴史

イングランド銀行は、1694年ウィリアム・パターソンWilliam Patterson(1658―1719)の建議により設立された。当時イギリスはフランスと交戦中で、その戦費を賄うため資本金120万ポンドを国王に貸し上げたのと引き換えに、イングランドとウェールズにおいて銀行券を発行する特権を賦与されたのである。18世紀初頭までは、政府の銀行、ロンドンの銀行という性格が強かったとはいえ、兌換(だかん)銀行券の発行による信用創造は、それまでの高利貸による金融独占を打破し、利子率の引下げを実現、産業資本の育成に貢献した。1826年の条令で支店の設置を認められ、1833年には同行の銀行券は法貨として特別の地位を与えられた。1844年、時の首相ピールの下で制定された「イングランド銀行条令」Bank Charter Act of 1844(通称「ピール銀行条令」Peel's Bank Act)によって発券の独占権が与えられて、名実ともにイギリスの中央銀行となった。同条令のもとで、発行部と銀行部の2部門に分かたれ、また1400万ポンドまでは証券を準備として、それ以上は金貨および地金銀を準備として発券する仕組みが整えられた。しかし同条令は、兌換準備確保には便利であっても、恐慌時や経済成長のための通貨供給という点では欠点を有し、事実、その後の1847年、1857年、1866年の恐慌の際には同条令は一時停止され、保証準備発行額の限定を拡大せざるをえなかった。こうして認識されるようになった同行の緊急時における「最後の貸し手」lender of last resortとしての役割を明確にしたのが、W・バジョットの名著ロンバード街Lombard Street(1873)である。

 1914年、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)直後、イギリス政府は金を条件付き輸出禁制品として実質的に金本位を停止し、カレンシー・ノートcurrency noteとよばれる政府紙幣を発行したが、大戦後の通貨・外国為替(かわせ)制度を検討するために1918年に設けられたカンリフ委員会Cunliffe Committeeの勧告により、1925年に金本位法を公布し、旧平価による金地金本位制を採用、1928年にはカレンシー・ノートを銀行券に合併した。しかし大恐慌により1931年には金本位を離脱、同時に外国為替管理令を制定、翌1932年には為替平衡勘定Exchange Equalization Accountを創設、1939年には金と外貨準備のほとんど全部を発行部からこの勘定に移し、管理通貨制度への移行は決定的となった。1946年労働党内閣の下で国有化され、全株式は政府の所有となったが、実際上の運営にはなんらの変化も生じていない。

 こうしてイングランド銀行は、「発券銀行」であるとともに、国庫金の出納、国債業務などを担う「政府の銀行」であり、さらに民間商業銀行等の口座をもつ「銀行の銀行」としての役割を担うに至っている。

 また、各国の中央銀行についてみると、ドイツではブンデスバンクDeutsche Bundesbank、中国では中国人民銀行がある。アメリカ合衆国では「連邦準備制度」Federal Reserve Systemが中央銀行の役割を担い、全国に12の連邦準備銀行Federal Reserve Bankがある。ヨーロッパ連合(EU)としては、ヨーロッパ中央銀行European Central Bank(ECB)がある。

[鈴木芳徳]

現状

1997年、イングランド銀行は金融政策の独立性を確保した。にもかかわらず、2007年、救済融資に踏み込まざるをえない事態が生じるに至った。当時、旧住宅金融組合building societyに由来するイギリスの銀行、ノーザン・ロックNorthern Rock(融資残高で第5位)は、短期金融市場で資金を調達し、これを住宅ローンとして提供していたが、資金繰りが悪化し、イングランド銀行に救済融資を求めざるをえなくなったのである。

[鈴木芳徳]

『J・H・クラパム著、英国金融史研究会訳『イングランド銀行』全2巻(1970・ダイヤモンド社)』『R・S・セイヤーズ著、西川元彦監訳、日本銀行金融史研究会訳『イングランド銀行 1891~1944年』全2巻(1979・東洋経済新報社)』『リチャード・ロバーツ、デーヴィッド・カイナストン編、浜田康行・宮島茂紀・小平良一訳『イングランド銀行の300年――マネー・パワー・影響』(1996・東洋経済新報社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イングランド銀行」の意味・わかりやすい解説

イングランド銀行
イングランドぎんこう
Bank of England

イギリスの中央銀行。 1694年 W.パターソンがイギリス王ウィリアム3世の財政難を救済する代償に銀行券の発行権を得て,120万ポンドの資金を公募し,銀行としては最初の株式会社として設立した。当時は他の私的金融業者のなかにも銀行券を発行するものがあったので,独占的な発券銀行ではなかったが,株式制度により経営規模が大きく安定していたことや国王の財政と密接な関係をもっていたことなどにより,18世紀に入ってから次第に中央銀行としての地位を確立していった。 1833年にはイングランド銀行券が法貨に定められ,またその他の発券銀行は次第に整理され,さらに 44年にはピール銀行条例により新たな発券銀行の設立が禁じられるに及び,イングランド銀行の発行する銀行券が圧倒的部分を占めるにいたり,中央銀行としての地位を固めた。その後 1946年2月に労働党政府によって国有化され,民間の株式銀行から政府機関としての中央銀行となった。 18世紀後半から第1次世界大戦までイギリスが世界経済の中心であった時代には,単にイギリスの中央銀行にとどまらず,世界の中央銀行として国際金融に中心的な役割を果したが,その後イギリス経済が衰退するとともに国際金融界に占めるその地位も低下した。

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