サイイド・クトゥブ(読み)サイイドクトゥブ

百科事典マイペディア 「サイイド・クトゥブ」の意味・わかりやすい解説

サイイド・クトゥブ

エジプトのイスラム思想家・運動家。1930年代,イスラム思想に基づく農民解放運動参加。1951年からムスリム同胞団に参加し,理論上・組織上の指導的メンバーとなる。1954年ナーセル大統領暗殺未遂事件で投獄され,獄中で処刑された。神の統治権を重視する彼の思想は,後のイスラム復興運動過激派に大きな影響を与えた。
→関連項目イブン・タイミーヤ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のサイイド・クトゥブの言及

【ムスリム同胞団】より

…しかしこの間,49年ハサン・アルバンナーを継いで団長となったハサン・イスマーイール・アルフダイビーのもとで,指導部に分裂が進行した。ムハンマド・アルガッザーリーMuḥammad al‐Ghazzalīやサイイド・クトゥブSayyid Quṭb(1906‐66)らの著作活動はむしろこの時期の理論的統一の希求を示す。同胞団と密接な関係にあったサーダートらを擁する自由将校団は,権力掌握直後は微妙な対同胞団政策をとったが,54年1月解散令を発し,同年10月ナーセル狙撃事件を機に弾圧に踏み切り,これを解体した。…

※「サイイド・クトゥブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android