山川 世界史小辞典 改訂新版 「サライェヴォ事件」の解説
サライェヴォ事件(サライェヴォじけん)
Atentat u Sarajevu
1914年6月28日(旧暦15日),ハプスブルク帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が,ボスニアの州都サライェヴォで暗殺された事件。大公夫妻を射殺したのは青年ボスニアに属する,ボスニアの正教徒の家に生まれたプリンツィプであった。サライェヴォ市街には,プリンツィプを含めて青年ボスニアの7人が,群衆にまぎれ武器を携えて待ち構えていた。オーストリア政府は,この事件の背後で糸を引くのがセルビアだと非難して,最後通牒をつきつけた。プリンツィプらに武器を供与するなどの援助をしたのは,「大セルビア」の実現をめざす秘密組織で,セルビア王国軍の軍人アピスを指導者とする「統一か死か(黒手組)」であった。このサライェヴォ事件が契機となって,第一次世界大戦が勃発した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報