シュパイヤー国会(読み)シュパイヤーこっかい

改訂新版 世界大百科事典 「シュパイヤー国会」の意味・わかりやすい解説

シュパイヤー国会 (シュパイヤーこっかい)

16世紀に5度にわたってドイツ南西部の都市シュパイヤーで開催された帝国議会。1526年と29年の国会は宗教改革史上とくに重要である。26年には,農民戦争後の秩序回復と21年のウォルムス国会直後に出されたルター派禁圧の勅令の実施が討議された。皇帝側は対仏戦争とオスマン・トルコ侵入の脅威から宗教問題には妥協をはかり,公会議の開催までウォルムス勅令の実施を延期した。諸侯,都市は各自良心に従って行動すべきとし,宗教上の決定権を彼らにゆだねた。ところが,対外戦争が皇帝側に有利に転ずると,29年再度シュパイヤーに国会を開き,先の暫定的決議を無効とした。公会議開催までいっさいの宗教的改新を禁じ,ウォルムス勅令の実施を強行した。この決定に対して,ザクセン選帝侯やヘッセン方伯らは抗議書を提出した。それには14の帝国都市も従ったが,この抗議(プロテスト)に立ち上がった者に対してプロテスタントの名称が与えられ,それ以降,それはルター支持者の呼称となった。次いで軍事的にも対抗するために,彼らはシュマルカルデン同盟へと結集していった。
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百科事典マイペディア 「シュパイヤー国会」の意味・わかりやすい解説

シュパイヤー国会【シュパイヤーこっかい】

ドイツ南西部の古都シュパイヤーSpeyerで宗教改革時代にしばしば神聖ローマ帝国の議会が開かれた。そのうちカール5世の開いた2回の議会が特に有名。1526年の国会では,対トルコ戦争への協力を必要としたカール5世が,新教派諸侯に譲歩して教会問題に関する彼らの自主権を認めた。しかしその後フランスイタリアを押さえたカールは1529年の国会で前回の決定を取り消した。これに対して新教諸侯が抗議したことがプロテスタントの名の由来となった。
→関連項目宗教改革

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世界大百科事典(旧版)内のシュパイヤー国会の言及

【キリスト教】より

…新しい《ルター大小教理問答》は1529年に書かれ,これはメランヒトンその他数名の協力を得て30年6月に成った《アウクスブルク信仰告白》とともに福音主義信仰の全内容を示している。〈プロテスタント〉(〈抗議者〉の意)の名は第2回シュパイヤー国会(1529)のときに生まれた。福音主義が法的に認められたのは,ルターの死後9年して,1555年のアウクスブルクの宗教和議においてである。…

【宗教改革】より

…ルター派諸侯による領邦教会体制の組織は,スペイン王たる皇帝カール5世が,フランスと呼応するオスマン・トルコ勢力のオーストリア侵入の危険に直面し,1527年のシュパイヤー帝国議会で彼らに政治的譲歩を余儀なくされたことから,いっそう促された。戦局の好転とともに,29年の第2回シュパイヤー帝国議会で,皇帝側がこの譲歩を撤回したとき,ルター派諸侯は強く抗議し,これがプロテスタントという呼称のおこりとなった(シュパイヤー国会)。その後,ルター派を旧教会に引き戻そうとするすべての努力にもかかわらず,いったん根をおろした領邦教会体制を覆すことはもはやできなかった。…

※「シュパイヤー国会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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