日本大百科全書(ニッポニカ) 「シンゴサリ王国」の意味・わかりやすい解説
シンゴサリ王国
しんごさりおうこく
Singosari
東部ジャワにあった王国(1222~92)。10世紀の中ごろジャワの文化の中心は中部から東部に移った。これは火山活動のためと考えられている。東部ジャワではインド文明の直接の影響が弱まり、バリ島をも含むヒンドゥー・ジャワ文化圏が成立した。東部ジャワは、初めシンドク王家が支配していたが(929~1016)、スマトラのシュリービジャヤに滅ぼされ、ついでエルランガ王家(1016~1222)の支配が続いた。そのころ王都はクディリ(ケディリ)にあり、クディリ王国とよばれていたが、ケン・アンロクという身分の低い人物が1222年にクディリ王国を滅ぼしてシンゴサリ王国を建てた。この時期シンゴサリには独自の美術が発達し、王国の繁栄をしのばせる。5代目の王クルタナガラ(在位1268~92)のとき、シュリービジャヤ遠征のすきをつかれてクディリの総督ジャヤカトワンに滅ぼされた。しかし王族の一人ラデン・ウィジャヤが、たまたま来攻した元(げん)の遠征軍の助けを借りてジャヤカトワンを滅ぼし、さらに元の遠征軍を撃退して王国を再建し、都をマジャパヒトに定めマジャパヒト王国を建てた。1293年のことであった。
[生田 滋]