ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
ジュリアーノ・デ・メディチ
Giuliano de' Medici, duc de Nemours
[没]1516.3.17. フィレンツェ
イタリア,フィレンツェの政治家。メディチ家復権後の 1512~13年にフィレンツェを統治した。1494年,フィレンツェの共和派はフランスの助けを借りてジュリアーノの長兄ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチを追放したが,その後内紛を招いた。フィレンツェはフランスとの同盟関係を堅持したため,教皇ユリウス2世がフランス王ルイ12世に対抗する神聖同盟を締結したとき,政治的に孤立した。教皇は 1512年,フィレンツェに同盟への参加を要請,指導層を追放してメディチ家を復権させるよう求めた。スペイン軍にプラトを略奪されたフィレンツェは帰順を余儀なくされた。1512年9月,ジュリアーノは一族郎党を引き連れて帰還し,反逆の動きを封じるために厳格な措置をとりながら,短い間おおむね穏健な支配を行なった。1513年に次兄のジョバンニ枢機卿(→カーディナル)が教皇レオ10世として就任すると,ジュリアーノ自身も枢機卿として教皇軍総大将に任命され,ローマに赴いた。1515年,フランスのヌムール公位を授けられた(→ヌムール〈公家〉)。
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