改訂新版 世界大百科事典 「ジュリウー」の意味・わかりやすい解説
ジュリウー
Pierre Jurieu
生没年:1637-1713
フランスの新教(プロテスタント)カルバン派の神学者。新教の牧師の子としてブロアの近くに生まれ,ソミュールの新教大学に学んだのち,スダンの新教大学に学び,1674年その教授となったが,81年同大学が閉鎖されるとオランダに亡命して,ロッテルダムの新教大学教授および同地のバロン教会牧師になり,同地で没した。ナントの王令廃止(1685)前後の迫害に苦しむ新教徒の代表的な理論家としてA.アルノーと論争し(《新教徒の道徳の弁護》1675),J.B.ボシュエと論戦を交え(《改宗の予防》1680),また《フランス僧族の政策》(1681)など多くの作品を書いた。同王令廃止後は《バビロン捕囚のもとに呻吟するフランスの信徒にあてた牧会通信》(1686-89)や,彼の作とされる《自由にあこがれる奴隷のフランスのため息》(1689-90)などによって新教徒をはげましたが,その中で彼が展開した人民主権,人民抵抗権の主張や絶対王制の圧制に対する反抗の呼びかけは,17世紀フランスにおける民主的政治理論の到達点を示すものといえよう。また1686年ころから宗教的寛容の問題などをめぐってP.ベールらと激しく対立したことでも知られる。
→カルビニズム
執筆者:赤木 昭三
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