翻訳|Rotterdam
オランダ南西部,南ホラント州の都市。ムーズ(マース)=ライン川河口を約30kmさかのぼった地点に,川を挟んでその両岸に発達した世界第1の貿易港。人口59万9651(2003),都市圏全体では102万。
1328年に都市法を得,16世紀ころより港町として発達した。ライン川やムーズ川の上流を後背地にもち,すでに17~18世紀にはオランダ第2の貿易港に成長していたが,19世紀に入ってからは,ライン=ムーズ川河口が外航船の出入りに適さず,その発展は伸び悩んでいた。しかし1872年,砂丘を切り開いて一直線に北海に抜ける新水路が完成し(1885年,深削),また後背地のドイツ・ライン地方,とりわけルール地方の工業が目覚ましい発展を遂げるにつれて,その海への出口として急速な繁栄を見せた。1913年にはアントワープやロンドンと肩を並べるにいたった。第1次大戦後,石油港が設けられ,第2次大戦後ムーズ川南岸から河口にかけて次々に拡張・建設された新港と,25万トン級タンカーの入港を許す水路(河口付近は50万トンまでも可),整った設備により,65年ニューヨークを抜いて世界第1の貿易港になった。取扱貨物は年間約2億4000万t(入荷がその70%を占める)で,その90%がばら荷(2/3が石油)である。ロッテルダム港は外航船の荷を艀(はしけ)に積み替える基地で,ムーズ川の南側に艀専用のハルテル運河が設けられ,ここから,ライン川をはじめ四通八達した水路によって,ドイツなど各地と結ばれている。またコンテナ方式の発達に伴い,ムーズ川北岸にコンテナ基地レインポールトRijnpoortが設けられ,ヨーロッパ各地からのコンテナ列車が出入りしている。さらに,西ヨーロッパの他の貿易港に対する中継港=積替え港としての機能をも果たしている。なおロッテルダムは,ヨーロッパ最大の石油輸入基地であり,ここからドイツのケルン(1960完成),ベルギーのアントワープ経由,ワロン地方のフリュイまで(1971),さらにオランダ国内のアムステルダムへと3大パイプラインが敷かれている。
ロッテルダム地区の工業は,戦前は,造船・造機や食品に限られていたが,戦後オランダの工業化計画の中でこの地域が最重点地域に選ばれ,ムーズ川南岸のユーロポールトEuropoort臨海工業地帯(1958-69建設)に,欧米の石油化学企業が進出している。
ロッテルダムは,第2次大戦初頭,1940年5月のドイツ軍の爆撃によって17世紀以来の旧市街のほとんどを破壊され,戦後近代建築の技術をこらした新都市に生まれ変わった。そして世界各国の商社・銀行なども競ってここに進出し,ヨーロッパで最も重要な経済的中心地となりつつある。また遅れていた文化的機能でも,総合大学(エラスムス大学。73年,商科大学,医科大学を統合)が発足し,オーケストラ,劇場などの整備が進んでいる。美術館・博物館は,ボイマンス美術館(1849開設)など12を数える。また鉄道,高速自動車道,連絡船が近隣諸国や対岸のイギリスとの間に縦横に走り,さらに1968年に開通した地下鉄によって,ムーズ川両岸の連絡が大きく改善された。ルネサンス期の人文主義者エラスムスの生地で,H.deケイセルによる彼のブロンズ像(1622)が市中に残る。
執筆者:石坂 昭雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
オランダ南西部、ゾイト・ホラント州にある国際的な港湾・商工業都市。地名は市の北部を流れるロッテ川のダム(堰堤(えんてい))に由来する。人口は59万5255(2001)で首都アムステルダムに次ぎ、都市圏人口は98万9956(2000)。ライン川、マース川の分流である新マース川の南北両岸にまたがって市街は形成され、北海河口から約30キロメートル上流に位置する。19世紀後半に北海との間に「新水路」Nieuwe Waterwegが開削されてから外洋船の遡航(そこう)が可能となり、港湾は急速に成長した。ライン川、マース川水系の内陸水路を通じてドイツのルール工業地帯やベルギー、フランス、スイスと結ばれ、広大な後背地を有する中継港、積換え港として重要で、コンテナ基地があるほか、パイプラインがアムステルダム、ケルン、フリュイ(ベルギー)の諸都市へ延びている。とくに1958年より外港として建設されたユーロポートEuropoortは、ヨーロッパ共同体の玄関として発展し、このためロッテルダム港は65年にニューヨークを抜いて世界最大の貿易港へと躍進した。現在もEU(ヨーロッパ連合)の門戸として中継貿易が盛んである。工業も活発で、従来の造船、食品(ココア、コーヒー、たばこ)に加え、新マース川南岸やユーロポートには巨大な石油化学コンビナートが展開している。
市街中心部は、1940年のドイツ軍の爆撃で完全に破壊されたため歴史的建造物に乏しいが、15世紀の聖ローレンス教会や、オランダ絵画の収集で有名なボイマンス博物館などが残っている。第二次世界大戦後は中心部の再開発が行われ、区画整理によって住宅数は戦前の約4分の1(6000戸)に減少したほか、歩行者天国の大ショッピングセンターであるラインバーンや、ドゥーレン会議場、中央駅などが建設された。新マース川河畔には高さ117メートルのユーロマストがそびえ、南北両岸地区は道路トンネル、地下鉄で結ばれる。人文学者エラスムスの生地で、商科大学を核に1973年総合化されたエラスムス大学がある。
[長谷川孝治]
13世紀にダムが築かれ、1340年にはホラント伯が自治権を与え、また運河建設を認可した。1488年ブレーデローデ伯が占領、周辺村落を奪った。1563年には市の大半が焼け、72年にはスペイン軍の略奪を受けた。その後、ロッテ川の河床に堆積(たいせき)した泥を掘って港を整備し、その泥を盛り土として河岸をつくったが、これは後世の発展の基礎となった。オランダ独立戦争(1568~1648)後の17世紀には、フランス、イギリスとの取引の中心港として繁栄し、アメリカ、インドシナにまで船を送った。1685年のナントの王令廃止で、フランスのユグノー(新教徒)が多数この地に亡命した。ナポレオン1世時代の停滞期が過ぎて19世紀後半には、ラインラントやルール地方の産業化に伴い、また「新水路」の建設により、大貿易港となった。
[磯見辰典]
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オランダ西部,ライン川と結ぶ運河の中心にある商工都市および貿易港。ルネサンス時代は文化の中心で,エラスムスを生んだ。1940年5月ドイツ空軍によって中心部は完全に破壊されたが,戦後めざましい発展をとげ,世界最大級の貿易港となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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