日本大百科全書(ニッポニカ) 「バビロン捕囚」の意味・わかりやすい解説
バビロン捕囚
ばびろんほしゅう
Babylonian Exile
古代イスラエル民族のユダ王国が新バビロニア王国によって征服された際、多くの住民がバビロンへ強制移住させられた事件。紀元前597年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダ王エホヤキンは降伏し、数千人の貴族、聖職者および中産階級の国民とともにバビロンに連行された。その後、ユダは半独立国の地位にとどまり、王位はゼデキアに継承されたが、彼が反バビロニア派に動かされ、反乱に加担したため、ネブカドネザル2世はふたたびエルサレムを略奪し、建物を焼き、砦(とりで)を撤去し、住民の大部分を捕囚の身とした(前586)。逃亡を図ったゼデキアはエリコで捕らえられ、目の前で家族全員が虐殺され、自らは盲人とされ、足械(あしかせ)をかけられてバビロンへ連行されたという(『旧約聖書』列王紀)。その後、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キロス2世が前538年に発した「民族解放令」によって帰還を許された。バビロン捕囚はイスラエル人にとって大きな民族的苦難であったが、この間の精神的労苦はかえって民族の一致を強め、信仰を純化する端緒となった。また、それ以前に書かれてきた『旧約聖書』の律法書、歴史書、預言書、詩などが集成された時期としても重要な意義をもっている。バビロンから帰還後、国家建設はならなかったが、エルサレムに再建した神殿を中心としたユダヤ教団が成立し、彼らはユダヤ人とよばれるようになった。
[漆原隆一]