ジーンハックマン(英語表記)Gene Hackman

現代外国人名録2016 「ジーンハックマン」の解説

ジーン ハックマン
Gene Hackman

職業・肩書
俳優

国籍
米国

生年月日
1930年1月30日

出生地
カリフォルニア州サン・バーナディノ

本名
Hackman,Eugene Alden

受賞
アカデミー賞主演男優賞(第44回)〔1971年〕「フレンチ・コネクション」,アカデミー賞助演男優賞(第65回)〔1992年〕「許されざる者」,ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(第29回,1971年度)「フレンチ・コネクション」,ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞,第39回)〔1989年〕「ミシシッピー・バーニング」,ニューヨーク批評家協会賞助演男優賞〔1992年〕「許されざる者」,全米映画批評家協会賞助演男優賞〔1993年〕「許されざる者」,ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(第50回,1992年度)〔1993年〕「許されざる者」,ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門,第59回,2001年度)〔2002年〕「ザ・ロイヤル・テネンバームズ」,ゴールデン・グローブ賞セシル・B.デミル賞(第60回,2002年度)

経歴
16歳の時、年齢をごまかして米国海兵隊に入り、中国に駐屯中に軍放送のディスクジョッキーを務めたのがきっかけとなり芸能界を目指す。除隊後、パサディナ・プレイハウスで学び同期ダスティンホフマンと共にニューヨークへ行く。トラックの運転手などをしながら舞台やテレビの端役に出演していたが、1964年ブロードウェイに出演しているのをロバート・ロッセン監督に見い出され「Lilith」の端役に起用される。この時に主演したウォーレン・ベーティに呼ばれ’67年「俺たちに明日はない」に出演、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ一躍注目される。’71年「フレンチ・コネクション」でポパイ刑事を演じ、アカデミー賞主演男優賞を獲得、大スターとしての地位確立。’78〜87年「スーパーマン」シリーズの悪役が当たり役となる。’90年心臓発作のため手術を受けるが、のち活動を再開。他の出演作品に映画「ポセイドン・アドベンチャー」(’72年)、「スケアクロウ」(’73年)、「カンバセーション盗聴」(’74年)、「遠すぎた橋」(’77年)、「追いつめられて」(’87年)、「ミシシッピー・バーニング」(’88年)、「許されざる者」「ザ・ファーム/法律事務所」(’92年)、「ワイアット・アープ」(’94年)、「クリムゾン・タイド」(’95年)、「目撃」(’97年)、「エネミー・オブ・アメリカ」(’98年)、「リプレイスメント」(2000年)、「ザ・メキシカン」「エネミー・ライン」「ザ・ロイヤル・テネンバームズ」(2001年)、「ニューオーリンズ・トライアル」(2003年)、「ムースポート」(2004年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ジーンハックマン」の解説

ジーン ハックマン
Gene Hackman


1930.1.30 -
米国の俳優。
カルフォルニア州サン・バーナディノ生まれ。
本名Eugene Alden Hackman。
海兵隊除隊後、パサディナ・プレイハウスで学び、同期のダスティン・ホフマンとともにニューヨークへ出る。トラック運転手、ドアマンなどをしながら、舞台、テレビに端役で出演。1967年「俺たちに明日はない」でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍脚光を浴びる。’71年「フレンチコネクション」でアカデミー主演男優賞を獲得、以後、シリアスな作品からアクション・コメディまでこなす大物俳優として活躍している。’56年に結婚した妻との間に3人の子供がおり、’73年に来日。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ジーンハックマン」の解説

ジーン ハックマン

生年月日:1930年1月30日
アメリカの俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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