スコットランド学派 (スコットランドがくは)
正式にはスコットランド常識哲学学派Scottish school of common senseという。〈存在とは知覚されることである〉とのバークリーによる物質否定の論証や,ヒュームによる因果観念の否定という懐疑的結論によって哲学一般の基盤,とりわけ既成の教会の教義に及ぼすこの種の帰結の脅威を感じたT.リードは,デカルトやロック以来の〈観念〉を軸とする認識批判の方法をしりぞけた。彼はそれゆえに意識的な推論過程に先行する本能的な判断の価値に注目して常識を擁護した。彼を受けていっそう卑俗な日常的常識に訴えたビーティJames Beattie,人間の心理過程を重視したスチュアートDugald Stewartらスコットランドの哲学者がこの学派に含まれる。カントを独断のまどろみから覚醒させたヒュームの鋭利な論証とは逆に,その微温的な折衷的理論はヨーロッパ大陸では高く評価されなかったが,今日ではハチソン,ヒューム,A.スミスらを含め広くスコットランド啓蒙主義として見直されている。
執筆者:中野 好之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のスコットランド学派の言及
【常識】より
…そしてコモン・センス=常識の考え方は,その過程でキケロを代表とするローマ古典を介して現れたのである。そしてその後,ルネサンスの人文主義者たちに受け継がれ,近代に入ると,18世紀初頭イタリアのビーコや,少し遅れてイギリスのシャフツベリー,またT.リードにはじまる〈常識学派〉([スコットランド学派])に伝えられていく。学問の基礎を常識=コモン・センスに置くこの〈常識学派〉の立場は,従来概して楽天的で通俗的なもの,理論的にとるに足らないものに思われてきたが,実はそれは,宗教的には狂信者を排しての,認識論的には懐疑論者に抗しての〈危機の理論〉の性格をもっていた。…
【ハチソン】より
…グラスゴー大学で神学を学んだ後にダブリンに戻って私学校を開き,この間最初の著作《美と徳のわれわれの観念の原型》(1725)を公刊して注目を浴びた。まもなくグラスゴー大学の道徳哲学教授に転じ,この教授職の後継者たるA.スミスに連なるいわゆる[スコットランド学派]の立役者の一人となった。主著は死後に刊行された《道徳哲学の体系》(1755)である。…
【リード】より
…[スコットランド学派]の哲学者。アバディーン大学卒業後,《常識哲学の原理にもとづく人間精神研究》(1764)でA.スミスの後任としてグラスゴー大学道徳哲学教授となる。…
※「スコットランド学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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