翻訳|common sense
common sense の訳語としては、他に「常見」「常情」なども用いられていたが、明治の後半から「常識」に定着した。
常識(英語でコモン・センス)とは,もっとも普通には,われわれの間に共通の日常経験の上に立った知,一定の社会や文化という共通の意味のなかでの,わかりきったものを含んだ知であると考えられている。つまりこの場合,それは,あれこれの立ち入った専門的知識にくらべてありふれた知識,また,厳密な学問知にくらべてあいまいさを含んだ日常の知だということになる。ところで,このようにとらえられた常識を〈出発点〉としての常識というならば,それに対して〈到達点〉としての常識と呼ばれるべきものがある。それは専門的知識よりも広く豊かな知識,学問的認識よりも洞察力に富んだ知のことである。たとえば小林秀雄が《常識について》のなかで,〈常識と呼ばれているわれわれの持って生まれた精神の或る能力の不思議な働き〉というのも,〈到達点〉としての常識のことである。
さて,このようなものとして常識=コモン・センスをふりかえってみると,コモン・センスの〈コモン〉のうちには二つの意味が混在していることがわかる。その一つは,社会のなかで人々が共通(コモン)にもつまっとうな判断力(センス)というとらえ方のなかでの,〈社会的な共通性〉の意味であり,もう一つは,諸感覚(センス)に相わたって共通(コモン)で,しかもそれらを統合する根源的感覚(共通感覚)というとらえ方のなかでの,〈諸感覚の共通性〉の意味である。そして普通,コモン・センスというと,前者(社会的判断力)だけしか考えられないが,もともとコモン・センス(ラテン語ではセンスス・コムニスsensus communis)とは,後者(共通感覚)のことだったのである。〈共通感覚〉の考え方はすでにアリストテレスに見られ(コイネ・アイステシスkoinē aisthēsis),その働きとして,個別感覚ではとらえられない運動,静止,形,大きさ,数などを知覚することが挙げられ,またその働きはほぼ〈想像力〉と同列に置かれている。
この〈共通感覚〉の考え方は,レトリック(修辞学,雄弁術)と結びついて,西洋の古代・中世からルネサンス期に至るまで大きな力をもった。そしてコモン・センス=常識の考え方は,その過程でキケロを代表とするローマ古典を介して現れたのである。そしてその後,ルネサンスの人文主義者たちに受け継がれ,近代に入ると,18世紀初頭イタリアのビーコや,少し遅れてイギリスのシャフツベリー,またT.リードにはじまる〈常識学派〉(スコットランド学派)に伝えられていく。学問の基礎を常識=コモン・センスに置くこの〈常識学派〉の立場は,従来概して楽天的で通俗的なもの,理論的にとるに足らないものに思われてきたが,実はそれは,宗教的には狂信者を排しての,認識論的には懐疑論者に抗しての〈危機の理論〉の性格をもっていた。現代においても共通感覚=コモン・センスは,具体的な生のかたちに応じた知のありようとして,ハンナ・アレントなどによって新しく注目されてきている。
執筆者:中村 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある社会のある時期において、一般の人々がとくに反省することなく当然のこととして共通に認めている意見や判断のことであり、その社会の歴史のなかから自然に形成される。したがって常識というとき、なんらかの立場や方法論を前提し、しかもそれを自覚して成立する判断であるところの学問的な知識と、しばしば対立させて使われる。
ところで常識という語の原義は、通常の人間ならだれでもが共通にもっている感覚のことであり、この点、前述したある社会のある時期という限定を伴う普通の意味と多少異なっている。そしてとくにこの原義に近い考え方で常識に注目している哲学者としては、バークリーの主観的観念論やヒュームの懐疑論に反対した18世紀イギリスのトマス・リードがいる。すなわちリードは、通常の理解力のある人間ならだれでも、その人間の本性に基づいて当然自明なものとして認めるいくつかの根本原理(「常識の原理」)があると考え、諸科学の基礎としてこれらの原理をみいだそうとした。
なお、リードを中心としたJ・ビーティ、J・O・オズワルドらの一派は常識学派とよばれ、ドイツ、フランスの啓蒙(けいもう)哲学に影響を与えた。また19世紀アメリカの哲学者パースによっても、常識をだれでもがもつ一種の本能のようなものと考える考え方が採用され、展開されている。
[清水義夫]
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…ライプニッツは〈事実の真理〉と〈理性の真理〉を認め,〈理性raison〉は諸真理の連関を覚知し推論する能力とし,C.ウォルフは悟性は知的なものを包括して意志に対立し,理性は諸真理の連関の洞察であるとした。また18世紀にはイギリスの〈常識common sense〉がドイツで悟性に結びつけられ,無反省に生活で使用される〈通俗的悟性gemeiner Verstand〉よりも〈論究的理性räsonierende Vernunft〉が上位に置かれるようになった。 カントは認識能力を諸対象を直観する受容的な〈感性〉と,諸対象を概念で思考する自発的な広義の〈悟性〉とに分かち,後者を狭義の〈悟性(概念・規則の能力)〉〈判断力(判断の能力)〉〈理性(理念・推論の能力)〉に分けた。…
…正式にはスコットランド常識哲学学派Scottish school of common senseという。〈存在とは知覚されることである〉とのバークリーによる物質否定の論証や,ヒュームによる因果観念の否定という懐疑的結論によって哲学一般の基盤,とりわけ既成の教会の教義に及ぼすこの種の帰結の脅威を感じたT.リードは,デカルトやロック以来の〈観念〉を軸とする認識批判の方法をしりぞけた。…
…一般に,専門家と言われる人たちはその分野の手続き的知識をうまく使って効率的に問題を解くことができる(いわゆる,頭より先に手が動く,である)のに対して,素人はその分野の宣言的知識はもっていてもそれらを効率的に使えない(いわゆる,頭でっかち,である)と理解される。
[常識]
常識common senseももちろん知識の一部である。というより,人間のもつ知識のほとんどは常識であると考えられている。…
… 実際のシステム開発においては,単純な表現では対象問題を十分にモデル化できず,また,機能の豊富な表現には処理に膨大な計算量が必要となるというトレードオフの関係が存在する。この点については常識の扱いを含めて理論的な研究の進展が著しい。また,大規模な実用システムにおいては,複数の知識表現を統合して利用することもしばしば行われる。…
…ライプニッツは〈事実の真理〉と〈理性の真理〉を認め,〈理性raison〉は諸真理の連関を覚知し推論する能力とし,C.ウォルフは悟性は知的なものを包括して意志に対立し,理性は諸真理の連関の洞察であるとした。また18世紀にはイギリスの〈常識common sense〉がドイツで悟性に結びつけられ,無反省に生活で使用される〈通俗的悟性gemeiner Verstand〉よりも〈論究的理性räsonierende Vernunft〉が上位に置かれるようになった。 カントは認識能力を諸対象を直観する受容的な〈感性〉と,諸対象を概念で思考する自発的な広義の〈悟性〉とに分かち,後者を狭義の〈悟性(概念・規則の能力)〉〈判断力(判断の能力)〉〈理性(理念・推論の能力)〉に分けた。…
※「常識」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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