バークリー(読み)ばーくりー(英語表記)George Berkeley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バークリー」の意味・わかりやすい解説

バークリー(George Berkeley)
ばーくりー
George Berkeley
(1685―1753)

ロックとヒュームを結び、17~18世紀イギリス古典経験論を代表する哲学者。アイルランドキルケニーに生まれ、ダブリンのトリニティー・カレッジに学ぶ。卒業後は同大学のフェロー(研究員)になり、初期の重要な作品を世に問うた。1713年ロンドンに出、大陸に遊んだのち帰国、母校の学監となった。公共心・宗教心の衰退を憂え、また、アメリカのバーミューダに理想のキリスト教社会とその精神的拠点となる大学の建設を計画して渡米したが計画の挫折(ざせつ)で帰国、以後著述に専念し、1734年アイルランドのクロインの司教に任ぜられて地方教化に尽くした。晩年はオックスフォードに行き、病没した。「存在するとは知覚されること」Esse est percipiという根本命題に要約されるように、バークリーの哲学は、一方ではロックを継いで知覚される観念を人知の唯一の対象とし、他方ではこの無力な観念とは対照的に能動的で、観念を知覚する精神だけを唯一の実体と認める。後者は「欲し」「行動する」実践的主体でもある。また、彼は『視覚新論』(1709)で、視覚と触覚の別を強調していたが、主著『人知原理論』で、知覚されない抽象観念の存在を否定し、抽象的普遍観念とは複数の個物を代表する機能を与えられた個別的観念だと説く。また、知覚される観念を唯一の対象とする基準から、第一性質の実在性を主張するロックの立場を否定し、さらに物体的実体の存在を悪(あ)しき抽象の極みとして否定する。だが、知覚される観念だけが存在するのであれば、知覚されない対象は存在しないおそれが生じる。バークリーは「世界」と「自我」の認識の範囲とを同一視する「独我論」的帰結を避けるために、「他我」や「主観一般」の知覚によって、個我によって知覚されない観念の存在を保証しようとするが、ついには内在的現象論の立場を超えて、人間の主観を超越した神の心に宿る観念の存在を仮定し、万有を神の心のなかにみるという、マルブランシュに近く、新プラトン主義の色彩をもつ万有在神論へと発展した。この傾向は晩年の著作『アルシフロン』(1732)や『サイリス』(1744)に著しいが、彼の意図は、新興の自然科学唯物論や同時代の無神論理神論・自由思想に対して、キリスト教を弁護する護教論にあったといえよう。主著にはほかに『ハイラスとフィロナウスの三対話』(1713)、『視覚論の弁護』(1733)などがある。

[杖下隆英 2015年7月21日]

『大槻春彦訳『人知原理論』(岩波文庫)』『名越悦著『バークリ研究』(1965・刀江書院)』


バークリー(アメリカ合衆国)
ばーくりー
Berkeley

アメリカ合衆国、カリフォルニア州西部、サンフランシスコ湾に臨む住宅・大学都市。人口10万2743(2000)。州立大学としては合衆国最大の規模を誇るカリフォルニア大学(1868創立)バークリー校の所在地として知られる。学生数3万人、教員数約1500人を擁する同大学は、規模だけでなく、優秀な教授陣と施設をそろえ、合衆国でもっとも優れた大学の一つとして高く評価される。その自由な校風は1960年代の学生運動の原動力となり、自由闊達(かったつ)な学生町として現在も受け継がれている。平均気温14℃と温暖な気候にも恵まれ、東部の丘陵地を中心に美しい住宅地が広がるが、湾周辺を軸とした西部地域には、食品加工、金属、薬品、せっけんといった工業の発達がみられる。1853年オーシャン・ビューとして町が開かれたが、カリフォルニア大学用地として66年バークリーと改名、1909年より市制が施行された。市名は、18世紀の哲学者ジョージ・バークリーにちなむ。

[作野和世]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バークリー」の意味・わかりやすい解説

バークリー
Berkeley, George

[生]1685.3.12. キルケニー
[没]1753.1.14. オックスフォード
イギリスの哲学者,聖職者。 1700年ダブリンのトリニティ・カレッジに入り,07年以後同カレッジ研究員。『視覚新論』 Essays towards a New Theory of Vision (1709) や主著となった『人知原理論』A Treatise concerning the Principles of Human Knowledge (10) を著わした。 13年ロンドンに出て,J.スウィフト,A.ポープらと交わり,2度にわたってフランス,イタリアなどに遊学し,21年ダブリンに帰った。 29年植民者と北アメリカ先住民の教化のための大学をバミューダに設立すべく新大陸に渡ったが失敗して 31年帰国。 34年クロインの監督となり,著述と司牧に専念した。彼の思想は同時代には多くの賛同を得なかったが,死後にスコットランド学派 (→常識哲学 ) や D.ヒューム,J.S.ミルを経て 20世紀の経験論にまで大きな系譜を残している。

バークリー
Barclay, William

[生]1907. スコットランド,ウィック
[没]1978.1.24.
イギリスのプロテスタント神学者。聖書学者。グラスゴー大学で神学,古典学を学び (1925~33) ,マールブルク大学に留学したのち,グラスゴー近郊レンフリューのトリニティ教会牧師。 1947年からグラスゴー大学教授となり,新約聖書学,聖書批判学,神学などを講じ,のちに神学部長となった。"The New English Bible"の翻訳にも参加し,合唱指揮者としても知られる。特に主著"The Daily Study Bible" (53~59) は 17巻 5900ページに及ぶものであり,現代神学の成果を専門用語を用いないで一般信徒に伝え,新約聖書の教えを今日の日常生活に関連づけようとするものであって,新約聖書と同時代のユダヤ,ギリシア,ラテンの古典を縦横に駆使しつつ説得的に説かれたこの労作は広く英語圏で読まれているだけではなく,スペイン語,ノルウェー語,ポーランド語,中国語,日本語などにも訳されている。

バークリー
Berkeley, Sir William

[生]1606. サマセット
[没]1677.7.9. トゥイックナム
アメリカ植民地時代のイギリスの行政官。1641年バージニア植民地総督に任命され,清教徒革命に際しては王党派を支持し,1649年から一時追放されたが王政復古で 1660年に帰任。一部の特権プランター(大農場主)と結んで独裁政治を行ない,14年間も議会を招集せず官職,毛皮交易の独占を進めた。1676年奥地開拓農民とインディアンとの紛争をきっかけに,ナサニエル・ベーコンの指導下に反乱が起こり,一時首都ジェームズタウンを追われたが,ベーコンの死と内部紛争で反乱軍が解体すると,血の復讐まで行なった(→ベーコンの反乱)。1677年に本国に召還された。

バークリー
Berkeley

アメリカ合衆国,カリフォルニア州中西部,サンフランシスコ湾北東岸にある都市。オークランド市に隣接する大学町。元来サンアントニオ牧場の一部であったところに,1868年カリフォルニア大学が設置されたことに始る。地名は,アメリカの高等教育に努力したアイルランド人司教 G.バークリーにちなむ。市東部には,大学に近接して神学校,視覚・聴覚障害児のための州立学校などがある。市の西部には,各種の工場があって,サンフランシスコ湾工業地域を形成。湾岸部に海洋公園がある。人口 11万2580(2010)。

バークリー
Berkeley,Sir Lennox(Randall Francis)

[生]1903.5.12. オックスフォード近郊ボーズヒル
[没]1989.12.26. ロンドン
イギリスの作曲家。 1926年オックスフォード大学卒業後,パリに留学し,N.ブーランジェに作曲を師事。 36年バルセロナの ISCM音楽祭で『序曲』が演奏され,注目された。ほかに歌劇,交響曲,協奏曲,室内楽,合唱曲,歌曲など。王立音楽院,キール大学の教授やチェルトナム音楽祭の会長を歴任,74年にはナイトの称号を受けた。

バークリー
Barclay, Alexander

[生]1476頃
[没]1552
イギリスの聖職者,詩人。ドイツの詩人 S.ブラントの有名な風刺詩『愚者の船』の英訳"The Ship of Fools" (1509) で知られる。

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