現代外国人名録2016 「スティエパンメシッチ」の解説
スティエパン メシッチ
Stjepan Mesić
- 職業・肩書
- 政治家 元クロアチア大統領
- 国籍
- クロアチア
- 生年月日
- 1934年12月24日
- 出生地
- ユーゴスラビア・クロアチア共和国オラホビツァ(クロアチア)
- 別名
- 別名=メシッチ,スティペ〈Mesić,Stipe〉
- 学歴
- ザグレブ大学法学部〔1961年〕卒
- 経歴
- 第二次大戦中、父がパルチザン側に加わったため難民生活を送った。故郷で判事を務めた後、1966年旧ユーゴスラビア連邦クロアチア共和国議員に初当選。’68年からは地方の市長も務めたが、’71年民主化運動“クロアチアの春”に参加したため投獄され、共産主義者同盟(共産党)からも追放された。この時の2年間の服役中にツジマン・クロアチア大統領と知り合う。釈放後、3年間定職に就けず辛酸をなめた。その後ザグレブで建築設計会社の経営に加わり、’89年ツジマンの民族主義政党・クロアチア民主同盟(HDZ)の設立に参加。’90年5月自由選挙で圧勝し、クロアチア共和国首相に就任。以後、ツジマン大統領とともに連邦からの独立を推進。同年8月旧ユーゴスラビア連邦幹部会に転出し、副議長。’91年7月〜12月旧ユーゴ最後の連邦幹部会議長(国家元首)を務める。クロアチア独立後の’92〜94年下院議長。’94年対ボスニア政策の対立から民主同盟を離党、クロアチア独立民主党(HND)を結成。ツジマン大統領のボスニア紛争介入を批判し、旧ユーゴ国際戦犯法廷で政権に不利な証言を行う。’99年HNDがクロアチア人民党(HNS)と合併し、HNS副党首。同年12月ツジマン大統領が死去、2000年2月大統領選で当選。同月HNS離党。2005年1月再選。2010年2月退任。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報