日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
スヌアッラー・イブラヒーム
すぬあっらーいぶらひーむ
un‘Allāh Ibrāhīm
(1937― )
エジプトの作家。カイロに生まれる。法律を学ぶが、1959年ナセルによる共産党員大量逮捕の網にかかり、以後5年間エジプトのほとんどの刑務所を転々とする。この間、左翼知識人の多くと獄中でともに暮らし、貴重な学習体験をする。自由の身になって書いた処女作が『あの匂(にお)い』(1964)である。彼はカイロの庶民の生活事象を、自分の生理に引き付けて映し出していくが、頼りなげな個による反応だとはいえ、個の感性に非妥協的に対置させられるがゆえに、エジプト社会の腐敗した構造やそれに寄生する連中の正体が冷徹に暴かれていく。エジプトの作家のなかでも特異な感性をもち、エジプト外の作家たちによっても注目されている。アスワン・ハイ・ダム建設に取材した『八月の星』(1974)や、『委員会』(1981)などがあり、翻訳をも手がけている。寡作な作家ではあるが、その後もエジプトのみならず広くアラブ社会の深部に潜む問題を作品に反映させ、『ベイルート・ベイルート』(1984)や『ザート』(1992)を上梓(じょうし)している。
[奴田原睦明]