エジプト南部、ナイル川第一カタラクト(急流)のすぐ下流右岸にある都市。アスワン県の県都。人口21万9541(1996)。商工業の中心地として上エジプト地方第一の都市である。従来より商都、避寒地として知られていたが、1902年に5キロメートル上流にアスワン・ダムが、1970年にはその7キロメートル上流にアスワン・ハイ・ダムが完成し、工業都市として発展した。とくに、1961年アスワン・ダムに水力発電所(出力34万5000キロワット)を建設、その電力により鉄鋼、化学肥料、食品加工などの工業が発達している。古代にはシエネSyeneとよばれ、エジプト南限の地として聖書にも登場し、エチオピア、スーダンへの入口の船着き場、商取引の場、花崗(かこう)岩の石切場として栄えた。またナイル川の洪水は最初にここで観測された。市街地の正面にあるナイル川内のエレファンティン島には古代の建築、左岸には王墓やコプト教修道院、上流のフィラエ島にはイシス神殿(1979年、世界文化遺産に登録)が残っている。カイロから鉄道、航空路があり、観光地として外国人客の訪問も多い。
[藤井宏志]
エジプト,アスワン州の州都で,エジプト最南の都市。人口21万9017(1996)。上エジプトの第1ノモス(州)であった古代には,町よりもナイル川の中にあるエレファンティン島の方が栄えており,現在町のある所はその市場(スーク)としての役割を果たしていた。そのため当時はスークという意味のソウンSounという名で呼ばれていた。アスワンは花コウ岩の採掘場として現代に至るまで有名で,オベリスクのような記念碑や神殿の石材もここから切り出された。ギリシア人はこの地をシュエネと呼んだので,アスワン産の花コウ岩はシエニートと名付けられた。1902年にはアスワン・ダム,71年にはその約7km南にアスワン・ハイ・ダムが建設されて上流にはナーセル湖ができ,下流でのナイル川のはんらんはなくなった。その時湖底に沈む古代遺跡の保存計画がユネスコを中心に進められ,大部分の遺跡が移築された。
執筆者:吉村 作治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加