出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…貴族たちは依然としてこの地に居をかまえ,西欧的・開明的かつ官僚的なペテルブルグに対して,古いロシアの伝統に根ざした独自の気風をつちかった。ピョートルによる西欧化政策を批判し,モスクワ時代の家父長的な国家社会体制を理想とするスラブ主義が,主としてモスクワに住む貴族インテリゲンチャによって提唱されたのも偶然ではない。 1812年ナポレオンの率いる大軍の来襲に際しては,住民の大部分が町を退去して抵抗し,折から起こった火災と冬の到来のために侵入軍はたちまち退却を余儀なくされた。…
※「スラブ主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」