日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミール」の意味・わかりやすい解説
ミール(宇宙ステーション)
みーる
Mir
旧ソ連が1986年に打ち上げた軌道科学宇宙ステーション。ソ連崩壊後はロシアが管理。ミールはロシア語で「平和」という意味。有人、無人の宇宙船とドッキングするための結合ユニットを6基もつ、大規模な「宇宙基地」で、「第三世代の宇宙ステーション」ともいわれた。ミール本体は直径約4メートル、長さ約13メートル、重さ約20トンだが、ドッキングを繰り返し、全長約30メートル、総重量約130トンに及んだ。最大9人が暮らせるが、飛行が長期にわたる場合などは5、6人が適当とされた。1986年2月にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、以後、ソユーズやサリュートとのドッキングを続けるなど活発な活動を行った。1988年12月には、ソ連飛行士2人が1年間という宇宙滞在記録を樹立。また1992年3月には、ソ連崩壊のあおりをうけて滞在を余儀なくされていた飛行士が313日ぶりに地球に帰還するというニュースもあった。その後、国際宇宙ステーション建設の実験のためスペース・シャトルとのドッキングなどを行った。老朽化が激しく、2000年春の廃棄が決定されたが、2000年に入ると、外国の民間資金を調達して運用期間を延長する計画が動き出した。しかし、12月ロシア政府は廃棄を正式に決定。2001年3月ミールは南太平洋上に落下した。
[長沢光男]
ミール(ロシアの共同体)
みーる
мир/mir ロシア語
ロシアの農村共同体、土地共同体または共同体の集会をさす。「オプシチナ」община/obshchinaともいう。起源については、古代ロシアの村落共同体に由来するという説と、後の農奴制の確立、人頭税の徴集に始まるとする説が対立している。古くは農民の集会としての自治的機能が重要であり、長老の選出、税と土地の割当てなどがここで決議された。16世紀以降には、担税者の登録や租税、地代の負担の決定がミール構成員の連帯責任を条件として行われるようになった。その結果、土地の定期割替えと共同耕作の慣行が導入されるに至った。とくに18世紀の人頭税導入後は、土地の配分が、通常、農民夫婦を一単位とする課税単位「チャグロ」を基準として行われ、中央ロシアでは、土地の位置と質の差による負担の軽重を平均化するための均等的な定期割替えが一般的になった。ミールはまた、貧困・老病者の救済、共同施設の運用などにも携わった。この自治的組織には地主や国家の干渉が強く加わり、とくに農奴解放(1861)後は、農民が国家から受けた土地購入用融資の返済責任がミールに課せられた。ストルイピン改革(1906~11)により、農民にミール脱退の自由が認められた。スラブ主義者(スラボフィル)はミールを理想化し、人民主義者(ナロードニキ)はロシア社会の発展可能性をこのなかにみた。なお、モスクワ時代(15世紀なかば~17世紀)には、町人の構成するミールも存在した。
[伊藤幸男]
『保田孝一著『ロシア革命とミール共同体』(1971・御茶の水書房)』▽『ダニーロフ著、荒田洋・奥田央訳『ロシアにおける共同体と集団化』(1977・御茶の水書房)』
ミール(インドの詩人)
みーる
Mīr
(1722―1810)
インドのウルドゥー語詩人。アグラに生まれる。10歳で孤児となり、デリーに移った。叙情詩(ガザル)にとくに優れ、後代のガーリブとあわせてガザルの二大巨匠と称される。60歳のときにラクナウに移ったが、一生を不満のうちに過ごした。彼の詩は人生への懐疑や厭世(えんせい)感を格調高い簡潔な表現と、流れるように美しい韻律で表しているところに大きな特徴がある。『ミール詩全集』は多くの異本が出版され、広く愛読されている。彼自身がペルシア語で書いた『詩人評伝』(1751)はウルドゥー語詩人103名を扱い、最初のウルドゥー詩人伝として文学史上にきわめて重要な作品である。
[鈴木 斌]