スラブ舞曲(読み)スラブブキョク(その他表記)Slovanské tance

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スラブ舞曲」の意味・わかりやすい解説

スラブ舞曲
すらぶぶきょく
Slovanské tance

チェコのドボルザークが作曲したピアノ連弾曲集。第一巻(作品46)は1876年に出版、第二巻(作品72)は86年に出版された。ブラームスの『ハンガリー舞曲』集に刺激を受けて作曲したもので、いずれも八曲からなる曲集は初演当時から好評を博し、作曲者自身によって管弦楽用に編曲された。スラブの民族舞曲や民謡を取り入れた民族色濃い作品で、現代では演奏会のアンコール曲として演奏されることが多い。

[三宅幸夫]

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世界大百科事典(旧版)内のスラブ舞曲の言及

【ドボルジャーク】より

…その間ビオラ奏者やオルガン奏者をして食いつないでいたが,75年から5年間連続して当時の宗主国オーストリアの政府が若い芸術家に出していた奨学金を得,作曲に専念できるようになった。また,その選考委員をしていたブラームスの紹介でベルリンの音楽出版社ジムロックから出した管弦楽のための《スラブ舞曲》第1集(1878)が大好評を博し,国際的にも認められた。40代半ばから50歳ごろにかけて作曲家としての最盛期を迎え,《スラブ舞曲》第2集(1887),《ピアノ五重奏曲イ長調》(1887),《交響曲第8番》(1889),ピアノ三重奏曲《ドゥムキー》(1891)などが次々と生まれた。…

※「スラブ舞曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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