スルタン・カリフ制(読み)するたんかりふせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スルタン・カリフ制」の意味・わかりやすい解説

スルタン・カリフ制
するたんかりふせい

イスラムの政治的有力支配者スルタンが、宗教的権威となっていたカリフ位を併用した体制。オスマン朝のみにみられる。オスマン朝第9代スルタン、セリム1世が1517年エジプトのマムルーク朝を滅亡させた際、その保護下にあったアッバース朝のカリフをイスタンブールに連行し、カリフの称号を譲り受けた。しかし、カリフは元来スルタンの行政的支配権も有していたことからスルタン・カリフ制はあまり意味がなく、オスマン朝史においても、カリフの称号を利用したのは、末期のアブデュル・ハミト2世の時代であった。彼はヨーロッパ列強の帝国主義的アジア侵略を阻止するため主張した汎(はん)イスラム主義の盟主としてカリフ位を使用した。

[設楽國廣]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スルタン・カリフ制」の解説

スルタン・カリフ制(スルタン・カリフせい)

オスマン帝国スルタンセリム1世が,1517年エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたとき,この王朝の庇護するアッバース朝最後のカリフから称号を受け継ぎ,スルタンがカリフを兼ねる形で成立したとされてきた。しかし,実際にはスルタン・カリフ制が前面に出てくるのは18世紀後半以後のことである。トルコ革命ケマル・アタテュルクにより両者は分離され,1924年に消滅した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「スルタン・カリフ制」の解説

スルタン−カリフ制
スルタン−カリフせい
Sultan Caliph

オスマン帝国のスルタンが同時にスンナ派のカリフの地位を兼ねるとされた原則
1517年オスマン帝国のスルタン,セリム1世が,アッバース朝カリフの子孫からカリフの権能を譲り受けたときに始まるとされてきたが,近年その根拠は否定されている。18世紀以後,オスマン帝国のスルタンがカリフを称することがあったが,トルコ革命後の1924年カリフ位は廃止された。

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世界大百科事典(旧版)内のスルタン・カリフ制の言及

【オスマン帝国】より

…この間,アイドゥン侯国カラマン侯国などアナトリアの諸侯国の併合を進めたが,1402年にティムールとのアンカラの戦に敗北し,王朝は一時断絶の危機にさらされたが,すぐにバルカンとアナトリアの領土を回復し,53年にコンスタンティノープルを攻略してビザンティン帝国を滅亡させ,ここをイスタンブールと改めて首都と定めた。15世紀末までにアナトリアとバルカンを統一すると,16世紀初頭にはエジプトのマムルーク朝を破って(1517),アラブ地域を併合し,二聖都メッカとメディナの保護権を掌握すると,オスマン帝国のスルタンは,同時にイスラム世界全体の長としてのカリフの資格を獲得した(スルタン・カリフ制)。西方では,モハーチの戦(1526)によってハンガリーを服属させ,ウィーンを包囲攻撃した(1529)。…

【スルタン】より

…このことはスルタンの行政能力の低下,軍人・官僚・ハレムなどの側近による執権政治への移行をもたらした。なお,1517年にエジプトを征服してアラブ世界を支配下に収めて以来,オスマン朝スルタンは,同時にカリフとしての資格を兼ね備え,その威光は遠く中央アジア,インド,東南アジアにまで及んだ(スルタン・カリフ制)。ただし,オスマン朝の年代記など文献史料では,スルタンよりも〈パーディシャーpādişāh〉〈ヒュンキャールhünkār〉がよく用いられた。…

【セリム[1世]】より

…16‐17年に行われたエジプトのブルジー・マムルーク朝のスルタン,ガウリーに対する遠征では,アレッポの北マルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で勝利を収め,シリアからエジプトに至る地域を属領化した。なおカイロに亡命中のアッバース朝カリフの末裔から全スンナ派の庇護者,信教の首長としてのカリフの称号を譲り受け,スルタン・カリフ制が成立したが,ロードス島攻略を準備中に没した。彼は詩人としての側面もあり,学術にも関心をもち,史書を愛好した。…

【トルコ革命】より

…ここにいたってトルコ国民は,〈トルコ大国民議会〉政府の側に結集し,スルタン政府軍(カリフ擁護軍)を破り,北東アナトリアのダシナク派アルメニア人勢力を壊滅させ,南東アナトリアのフランス占領軍を圧迫し,22年9月9日には,西アナトリアを占領していたギリシア軍をアナトリアから追放することに成功した。これによって祖国解放運動が勝利すると,アンカラ政府は,同年11月1日にオスマン朝のスルタン・カリフ制をスルタン制とカリフ制とに分離して前者を廃止した。その結果,オスマン帝国のスルタンは国外に亡命し,ここにオスマン帝国は滅亡した。…

※「スルタン・カリフ制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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