スールー王国(読み)スールーおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「スールー王国」の意味・わかりやすい解説

スールー王国 (スールーおうこく)

フィリピン南部のスールー諸島に形成されたイスラム王国。スールー諸島の中心地,ホロ島では13世紀末ごろから外来商人のイスラム・コミュニティが形成されていたが,島の原住民にイスラムが普及したのは,15世紀中ごろのことであった。このころスマトラ島から渡来したアラブ人アブー・バクルが島の内陸部住民をも改宗させて,ホロ島全体にスルタン制度を樹立した。ホロのスルタンの支配力はやがてスールー諸島全域に拡大した。1645年にはボルネオブルネイ王国内紛に介入して,同島北部の領有権をも獲得した。16世紀後半フィリピン群島の北・中部がスペインの支配下に入ると,スールー王国はスペインの南部侵略標的となった。しかし,スールー王国は近隣のイスラム諸勢力の協力を得て,その後3世紀余にわたってスペインの植民地支配を許さなかったばかりでなく,スペインの支配地域に対して報復の海賊行為を展開して,甚大な被害を与えた。外国勢力の侵略に対するスールー王国の抵抗は,アメリカの支配に対しても発揮された。アメリカは1898年にフィリピン群島の領有権を獲得したが,スールー王国がその支配に服したのは,1915年のカーペンター=キラム協定によってである。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スールー王国」の解説

スールー王国(スールーおうこく)
Sulu

~1915

フィリピン南部のスールー諸島を中心に,16世紀初めに成立したイスラーム王国。中国史料では「蘇禄」と記され,イスラーム化以前の15世紀前半や18世紀半ばに朝貢した。スペインとの一連戦争(モロ戦争)にも屈せず,特に18世紀後半から19世紀前半にかけて中国向け海産物貿易で繁栄した。1915年にアメリカ植民統治下のフィリピンに編入され,滅亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のスールー王国の言及

【フィリピン】より

…フィリピン群島で最初に統一的な政治支配が成立したのは,この蘇禄,すなわち,スールー諸島の中心地,ホロ島においてであった。ホロ島では15世紀の中ごろに,スルタンのアブー・バクルが支配するスールー王国が成立した。《明史》によれば,スールー王国は中国の明朝と一時期頻繁に交流した。…

※「スールー王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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