日本大百科全書(ニッポニカ) 「セイド・サイード」の意味・わかりやすい解説
セイド・サイード
せいどさいーど
Seyyid Said
(1791―1856)
19世紀、タンザニア東部のインド洋上にあるザンジバル島を中心に、東アフリカ沿岸を支配したザンジバル王国のスルタン(王)。オマーンのマスカットに生まれ、1806年オマーンのスルタンとなった。17年ころまで内政に力を注いだのち、東アフリカ沿岸地域の征服に乗り出し、22年ペンバ島を占領、37年モンバサのマズライ家を攻略し、ソマリア南部からモザンビーク北部までの主要な港町を支配した。40年マスカットからザンジバルへ都を移した。領土の拡大よりも通商面に力を注ぎ、各港町に総督を置き関税の徴収にあたらせた。おもな貿易品は、アフリカ大陸からの奴隷、金、象牙(ぞうげ)とヨーロッパからの銃で、のちには彼が栽培を始めた香味料のチョウジも加わった。なかでも奴隷は利益が大きく、ザンジバルは東アフリカ随一の貿易中心地となった。彼は貿易促進のためインド系商人の定住を奨励し、ヨーロッパ人の来航も歓迎した。そのため大陸奥地への奴隷狩りキャラバンも大規模になり、多数の奴隷がザンジバルへ送り込まれ、最盛時には年間10万人を超えたといわれる。1856年、オマーンからの帰途に海上で死去し、ザンジバルとオマーンは、それぞれ2人の息子が跡を継いだ。
[青木澄夫]