東アフリカ,タンザニア連合共和国を構成する地域。タンザニア北東部の沖合約35kmにあり,ザンジバル島(面積1660km2),ペンバ島(984km2)と30余の小島から成る。人口は98万(2002)。住民は,最も古く住みついたとされるバントゥー語系のハディーム,トゥンバトゥと,アラブ,インド人,さまざまの程度のアラブやペルシア人とアフリカ人との混血民,それにアフリカ本土からの多種の出身のアフリカ人から成る。ザンジバルの最大の都市ザンジバル市(人口約16万)は,ザンジバル島の西端にあり,古いアラブの伝統を残した街並みをみせている。ザンジバルの名は,アラビア語の〈ザンジュ〉(黒人の意)から来たもので,かつてアラブは東アフリカ沿岸部をザンジュの国と呼びならわしていた。
ザンジバルは,1~2世紀にアレクサンドリアで書かれた《エリュトラ海案内記》で,メヌティアス島と呼ばれていたのがそれに当たるとみなされている。当時のザンジバルは,森林がよく茂り,野生動物や水産資源が豊富であったという。インド洋交易の一つの拠点として発展したザンジバルは,11世紀にはすでにイスラム化した住民が住む交易都市としての機能を果たしていた。13世紀のアラブの地理学者ヤークートも,この町について記録している。13~15世紀,東アフリカ沿岸部では南のキルワ島が,ソファラ積出しの金を独占して隆盛をきわめ,ザンジバルもその支配下にあった。16世紀に入ってポルトガルが東アフリカに進出してきたが,17世紀後半になると,しだいにポルトガル勢力は南へ追い払われた。オマーンからモンバサに派遣された太守ムハンマド・アルマズルイは,この勢いをかって18世紀半ばには沿岸部のかなり広い地域を支配下に収めた。19世紀に入って,マスカット・オマーンの領主(イマーム)であるサイイド・サイードが,何度かザンジバルに遠征し,マズルイの勢力を破って1828年,ザンジバルを首都に,モガディシュからデルガド岬に至る沿岸部をおさえる国をつくりあげた。英明なサイードはザンジバルにチョウジのプランテーションを開き,30年代後半には世界の産額の80%を占めるまでになった。また,従来の沿岸部での交易,つまりアフリカ大陸内陸の人々が運んでくる商品に頼っていた交易をやめて,アラブ自身がキャラバンを組んで内陸へ進出するようになった。その主要ルートは,沿岸のバガモヨから,タンガニーカ湖畔のウジジを経て,コンゴ森林部に至るもので,その主要商品は,象牙とチョウジ・プランテーションのための奴隷であった。捕らえられた奴隷は象牙を肩に沿岸まで運び,そこで売られた。ティップ・ティプはそのようなアラブの奴隷商人として有名である。ザンジバルのイマームは,サイードの死後,イギリスによって傀儡(かいらい)化し,90年,沿岸の領土権をイギリス,ドイツに譲渡した。ザンジバルのイマームは形式的には1963年12月の独立まで残存したが,64年1月の反アラブのアフロ・シラジ党による民主革命により廃された。同年4月にタンガニーカ共和国と合邦し,12月には新しいタンザニア連合共和国となった。そして,大統領は旧タンガニーカから,副大統領は旧ザンジバルから選出されることになった。
執筆者:日野 舜也
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東アフリカ、タンザニア沖のインド洋上にあるザンジバル島、ペンバ島などからなる地域。アフリカ大陸のタンガニーカとともにタンザニア連合共和国を構成する。ザンジバルとはペルシア語で「黒人の海岸」を意味する。面積2460平方キロメートル、人口98万7400(2001推計)。中心都市はザンジバル島のザンジバル市(人口24万7500、2001推計)。主島のザンジバル島は第三紀層のシルト岩、泥岩を基盤に第四紀の礁石灰岩がのり、数段の海成段丘が発達する隆起サンゴ礁の島で、南北87キロメートル、東西40キロメートル、面積は1660平方キロメートルある。年平均気温27℃で、2月が暑く、7~9月は涼しい。年降水量は1421ミリメートルで、3~5月が大雨期、11~12月が小雨期となる。12月から3月にかけて北東の、6月から10月にかけて南西の季節風が吹き、ペルシア湾沿岸地域とのダウ(アラブ式帆船)の航行を助ける。
[堀 信行・青木澄夫]
ザンジバル市は古くからインド洋交易の商業都市として栄え、とくに奴隷と象牙(ぞうげ)の集散地として知られた。16世紀にポルトガル人が進出したが、島民とペルシア湾沿岸地域から移住してきたアラブ人によって撃退された。その後アラブ人の影響が強まり、1840年オマーンのスルタンであったセイド・サイードがザンジバルに都を移し、東アフリカ海岸地域の貿易を支配した。彼は隊商をアフリカ大陸の奥地へ送り、最盛期には年間10万人もの奴隷が売買されたといわれる。19世紀以後のヨーロッパ諸国のアフリカ進出に伴って、1890年ザンジバルはイギリスの保護領となり奴隷貿易も禁止された。1963年1月イギリスの自治州となり、同年12月スルタンを国王として独立したが、翌64年1月革命が起こり人民共和国を宣言、同年4月タンガニーカと連合してタンガニーカ・ザンジバル連合共和国、さらに同年10月タンザニア連合共和国となった。連合共和国成立後も、独自の大統領、内閣をもち、軍事、外交、通貨以外は単一国家に近い広範な自治機能を保持している。ザンジバルの大統領は自動的にタンザニア連合共和国の副大統領を兼任する。またザンジバル独自の政党であるアフロ・シラジ党(ASP)を擁していたが、1977年にASPはタンガニーカ・アフリカ人同盟と合併し、タンザニア革命党(CCM)となった。
[堀 信行・青木澄夫]
かつて経済的繁栄を支えてきた奴隷貿易が禁止されてからは、ザンジバル港も大陸のモンバサやダルエス・サラームにとってかわられている。主要産物は香辛料のチョウジで、400万本の林を有し、生産量は世界の大半を占める。住民はアフリカ人、アラブ人、インド人が混在し、典型的な多人種社会を構成している。言語はスワヒリ語、宗教はイスラム教が主流をなす。中心都市のザンジバル市は、迷路のような路地の多いアラブ風の町で、家々の美しく彫刻された扉がかつての繁栄を物語っている。市内にはリビングストンをはじめ多くの探検家の住居跡もある。
[堀 信行・青木澄夫]
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東アフリカ,タンザニアの島。アラビア語のザンジュ(黒人)が語源。古くからインド洋交易の重要拠点でイスラームを受容。1820年代にサイイド・サイードが東アフリカ沿岸一帯を勢力圏に収め,30年代以降ザンジバル島に本拠を置く(国名もザンジバル)。象牙交易やクローブ(丁子(ちょうじ))栽培で繁栄。61年オマーンから分離独立するも,90年イギリス保護領となる。1963年12月独立後,64年にアフリカ系住民を支持基盤とするアフロ・シラジ党によるザンジバル革命をへてタンガニーカと合邦し,タンザニアの一部となる。
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…アラビア半島南東端のマスカット・オマーンの領主(イマーム)で,以前から交易によって関係の深かった東アフリカのインド洋沿岸を重視し,ザンジバル島を根拠地として沿岸貿易を支配しようとした。1840年には本拠をマスカットよりザンジバル島に移し,ヨーロッパ諸国もサイードによる東アフリカ沿岸部支配を認めて領事館をザンジバルに開いた。…
…東アフリカ,タンザニア連合共和国を構成する地域。タンザニア北東部の沖合約35kmにあり,ザンジバル島(面積1660km2),ペンバ島(984km2)と30余の小島から成る。人口は78万(1995)。…
…正式名称=タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania面積=94万5090km2人口(1996)=2883万人首都=ダル・エス・サラームDar es Salaam(日本との時差=-6時間)主要言語=スワヒリ語,バントゥー諸語,英語通貨=タンザニア・シリングTanzania Shillingアフリカ大陸の東部にあり,インド洋に面した連合共和国。以前タンガニーカTanganyikaと呼ばれた本土部と,ザンジバルZanzibarと呼ばれる島嶼部よりなる。1964年4月27日に両者の合邦が成立したのち,タンガニーカとザンジバルの両方の名を合わせ,タンザニア連合共和国と国名を改めた。…
…正式名称=タンザニア連合共和国United Republic of Tanzania面積=94万5090km2人口(1996)=2883万人首都=ダル・エス・サラームDar es Salaam(日本との時差=-6時間)主要言語=スワヒリ語,バントゥー諸語,英語通貨=タンザニア・シリングTanzania Shillingアフリカ大陸の東部にあり,インド洋に面した連合共和国。以前タンガニーカTanganyikaと呼ばれた本土部と,ザンジバルZanzibarと呼ばれる島嶼部よりなる。1964年4月27日に両者の合邦が成立したのち,タンガニーカとザンジバルの両方の名を合わせ,タンザニア連合共和国と国名を改めた。…
※「ザンジバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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