ザンジバル王国(読み)ザンジバルおうこく(その他表記)Sultanate of Zanzibar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザンジバル王国」の意味・わかりやすい解説

ザンジバル王国
ザンジバルおうこく
Sultanate of Zanzibar

19世紀に貿易で栄えた東アフリカのスルタン国(→スルタン)。イギリスの保護領として 20世紀半ばまで支配を受けた。ザンジバル島は,17世紀後半にアラビア半島南端の国マスカットオマーン(→オマーン)の領土となった。マスカットオマーンの第5代スルタン,サイード・ビン・スルタンは,東アフリカ沿岸に大交易帝国を築き,1832年にザンジバルを首都に据えた。1861年ザンジバルはマスカットオマーンから分離し,独立したザンジバル王国としてサイードが獲得した東アフリカ沿岸の広大な領土を支配し,奴隷貿易と象牙貿易で繁栄した。しかしバルガシュ(在位 1870~88)の時代に,イギリスとドイツがアフリカ本土のザンジバル王国の大半を分割し,残る沿岸部の領土も両国が経済的な支配を確保した。1890年にイギリスの保護領になると,スルタンの権限が抑制され奴隷貿易も減少した。1963年にイギリス連邦に加わり,スルタンが君臨するザンジバル王国として独立。1964年1月,左派クーデター王政が打倒され,ザンジバル人民共和国が設立された。同 1964年4月,大陸側のタンガニーカ共和国(→タンガニーカ)と連合協定を調印し,タンザニア一部となった。

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