改訂新版 世界大百科事典 「セロボ文化」の意味・わかりやすい解説
セロボ文化 (セロボぶんか)
1950年に,A.P.オクラドニコフによって提唱された,ロシア・バイカル地方新石器編年の第3期で,前3千年紀と推定された。アンガラ川に注ぐザディルミ支流の入口,セロボSerovo村で発見された墓群をもとに命名された。1933年以降数次にわたって,オクラドニコフによって調査され,20基の墓と4基の配石が明らかにされた。そのうち,本文化期に属するのは12基で,他はキトイ文化,グラスコーボ文化に属する。セロボ文化期に属する墓は地表に配石があり,長さ1.8~3.0m,幅0.6~2.0mで,楕円形のものが多い。配石の下に墓坑があり,その大きさは平均して,長さ1.8m,幅0.7m,深さ0.25mである。墓坑内の埋葬人骨は伸展葬をとり,頭位方向は3例が南,4例が南西,1例が南南西,3例が北北東であった。オクラドニコフが主張するセロボ文化期の埋葬頭位方向は日の出方向を示す北東~東であるとする意見とは,異なった事実を示している。副葬品には,弓,両面加工石剣,磨製ナイフ,断面方形の磨製石斧,石鏃そして土器が出土している。土器は丸底ないし尖底の土器で,櫛目スタンプ文を有している。
執筆者:加藤 晋平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報