改訂新版 世界大百科事典 「キトイ文化」の意味・わかりやすい解説
キトイ文化 (キトイぶんか)
1950年に,A.P.オクラドニコフによって提唱されたバイカル地方新石器編年の第4期の文化で,前3千年紀後半~前2千年紀初頭に比定される。アンガラ川左岸支流,キトイKitoi河口左岸上にある墳墓群をもとに命名された。この墳墓群は,1880-81年にビトコフスキーN.I.Vitkovskiiにより発掘され,24基の墓が明らかにされた。北東に長軸をもつ墓で,大部分が伸展葬であり,壙内に赤色土が撒布されている。北東頭位の埋葬法は,イサコボ文化の埋葬例と同じで,日の出方向に向けて埋葬したからだという。副葬品はきわめて多様で,石鏃,搔器,石斧,矢柄(やがら)研磨器,各種骨角器そして土器がある。土器はセロボ文化と同じ丸底の器形をもち,櫛目スタンプ文がほどこされるものもある。この文化は,西はエニセイ川流域の一部からアンガラ川下流,バイカル湖周辺そしてザバイカルに分布する。副葬品の豊富さから,私有財産に差が生じてきたことを示すと説明され,族長社会を構成していたといわれている。
執筆者:加藤 晋平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報