ダイアナロス(英語表記)Diana Ross

現代外国人名録2016 「ダイアナロス」の解説

ダイアナ ロス
Diana Ross

職業・肩書
歌手,女優

国籍
米国

生年月日
1944年3月26日

出生地
ミシガン州デトロイト

グループ名
グループ名=シュープリームス〈Supremes〉

受賞
グラミー賞〔1970年〕,ゴールデン・グローブ賞新人賞(第30回,1972年度)「Lady Sings the Blues」,トニー賞(特別賞,第31回)〔1977年〕

経歴
父親は牧師。高校時代に友人2人と“プリメッツ”というボーカル・グループを作り、1960年にモータウン・レコードオーディションを受けて合格。’62年高校を卒業して“シュープリームス(のちダイアナ・ロス&シュープリームス)”としてレコードデビュー。’64年「愛はどこに」が初のビッグ・ヒット、その後も「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」「ラブ・チャイルド」など次々とヒットを放つ。’69年独立してソロに。「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」など18曲が全米1位となり、スターの座を獲得した。’72年映画「ビリーホリディ物語」に主演以来女優としても活躍。’91年アルバム「永遠のイフ・ウィー・ホールド・オン・トゥゲザー」を日本で発売。他のアルバムに「I’m Still Waiting」(’71年)、「Touch Me In The Morning」(’73年)、「Why Do Fools Fall in Love?」(’81年)、「Eaten Alive」(’84年)、「Chain Reaction」(’86年)、「Workin’ Overtime」(’89年)、「Surrender」(’89年)、「Ain’t No Mountain High Enough」(’89年)、「The Forces Behind the Power」(’91年)、「The Remixes」(’94年)、「Gift of Love」(’96年)、「The Real Thing」(’98年)、「Voice of Love」(2000年)、「Blue」「I Love You」(2006年)など。度々来日公演。1985年ノルウェーの海運王アルネ・ネースと再婚するが、2004年死別。2009年に亡くなったマイケル・ジャクソン親交が深かった。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ダイアナロス」の解説

ダイアナ ロス
Diana Ross


1944.3.26 -
米国のポピュラー歌手,女優。
ミシガン州デトロイト生まれ。
高校時代に友人とグループ「プリメッツ」を作り、1960年にモータウン・レコードのオーディションを受けて合格。スチューディオ・コーラスを経て、高校卒業後’62年「シュープリームス」でレコード・デビュー。’64年「愛はどこに」がビッグ・ヒット。60年の代表的グループになる。’65年「Beach Ball」にグループで映画出演。’65年独立、ソロ活動に入る。のち映画女優としても活躍する。’71年結婚、3女を生み、’86年海運王と再婚。映画出演は他に「ビリー・ホリデー物語」(’72年)、「マホガニー」(’75年)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダイアナロス」の意味・わかりやすい解説

ダイアナ・ロス
だいあなろす

ロス

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「ダイアナロス」の解説

ダイアナ ロス

生年月日:1944年3月26日
アメリカの歌手;女優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android