ダゴベルト1世(その他表記)Dagobert I

改訂新版 世界大百科事典 「ダゴベルト1世」の意味・わかりやすい解説

ダゴベルト[1世]
Dagobert I
生没年:605から610-639

メロビング朝のフランク王。在位623-638年。623年父王クロタール2世の下王Unterkönigとして,アウストラシア分国を統治し,これを同分国のピピン1世およびメッツアルヌルフ両貴族が支援した。629年父王の死後,単独支配者となり,宮廷ネウストリアパリに移す。弟カリベルトをアクイタニアに,また庶子ジギベルト3世をアウストラシアに下王として配し,東西国境の安定をはかる。父王とともにメロビング最盛期を築いた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダゴベルト1世」の解説

ダゴベルト1世(ダゴベルトいっせい)
Dagobert Ⅰ

600頃~639

フランク王。クロタール2世長子。アウストラシア王(623年以降)。宮宰(きゅうさい)大ピピン,メッツ司教アルヌルフと提携,631年全王国を統一メロヴィング朝最後を飾った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダゴベルト1世」の意味・わかりやすい解説

ダゴベルト1世
ダゴベルトいっせい
DagobertI

[生]605頃
[没]639.1.19.
メロビング朝時代のフランク王 (在位 629~639) 。クロタール2世の子。 623年アウストラシア王となり,629年父の死とともに全フランクの王位につく。2人の子のうちジゲベルト3世をアウストラシア王,クロービス2世をネウストリア,ブルグンド王とした。

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世界大百科事典(旧版)内のダゴベルト1世の言及

【サン・ドニ修道院】より

…273年にモンマルトルで殉死したドニ(使徒パウロの弟子ディオニュシウス・アレオパギタともいわれる)が,みずからの首を抱えて約10km歩き,倒れた場所に築かれたという墓をめぐって創設された。墓の周辺に形成された崇敬団に対し,まず聖ジュヌビエーブが修道院を建設し(5世紀末),ついでダゴベルト王が教会堂を再建した(7世紀初)。この教会堂はさらに8世紀末に改築され,また修道院長シュジェールSuger(1080ころ‐1151)が改築したのち,さらに13世紀にルイ9世の命を受けたピエール・ド・モントルイユPierre de Montreuil(1200ころ‐66)によって改築された。…

【メロビング朝】より

…クロタール2世の統一王権は,パリ勅令(614)が示すように,在地貴族からのグラーフ(伯)任命など,貴族権力への譲歩によって,安定した秩序をつくり出したが,それは王権による中央集権的なローマ的政治理念の終焉(しゆうえん)となった。 覇者の東分国貴族はクロタール2世にその子ダゴベルト1世(在位623‐638)の下王権を承認させ,そのもとに,東部国境防衛を果たしながら,みずからの利益を追求した。クロタール2世の死で(629),彼らは統一支配権掌握の機会を得たが,みずからの内部分裂とメッツからパリへの遷都によって,宮廷指導権を西分国貴族に奪われた。…

※「ダゴベルト1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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