改訂新版 世界大百科事典 「クロタール2世」の意味・わかりやすい解説
クロタール[2世]
Chlothar Ⅱ
生没年:584-629
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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584~629(在位584~629)
フランク王。クロタール1世の孫,生後4カ月でネウストリア王。アウストラシア,ブルグントの聖俗貴族の協力により王国を統一。彼らへの大幅な譲渡を認めた614年の勅令は,荘園領主権の台頭を示す史料として重要。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…これはかつてのグラフィオがテュンギヌスの権限をも吸収して,南ガリアのコメスとほとんど同じ権限を獲得したことの反映とみなされる。他方クロタール2世のパリ勅令(614)は,以後在地の豪族層のなかから伯を任命することを規定している。これは南部と同様,北部ガリアでも国王に対するコメスの独立性が強くなっていく傾向を反映したものと解釈され,その傾向はメロビング朝時代末,王権の弱体化に伴い,いっそう著しくなった。…
…ライン川以東でも,ランスの歴代の諸王がチューリンゲン,バイエルンおよびイタリア遠征を行い(531,539),さらにビザンティン遠征を計画するなど,ガリアの枠を超えた帝国政策を展開した。 ソアソン分国王クロタール1世(在位511‐561)が兄弟諸王の死により,単独支配者となったが,彼の死が内乱の始まりであった(561)。相続の方法は前回と同じであるが,4人の相続者のうちカリベルトの死(567)後の3分国が以後定着する同朝の分国図となった。…
※「クロタール2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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