ダッドリー家(読み)ダッドリーけ(その他表記)Dudleys

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダッドリー家」の意味・わかりやすい解説

ダッドリー家
ダッドリーけ
Dudleys

イギリスの貴族の家系。特に十五,六世紀に注目すべき人物を輩出。もとはサットン家で,14世紀にスタッフォードシャーのダッドリー城を領有したことからダッドリー家となった。代々ダッドリー男爵位を継承していたが,傍系のエドマンド・ダッドリーがヘンリー7世に仕えて重用されたのち,その子ジョンはノーサンバーランド (公)として政治の実権を握り,4男ダッドリー (ギルフォード卿) を J.グレーと結婚させ,王家乗取りをはかったが失敗した (1553) 。その直後の 1556年ノーサンバーランド公の従兄弟ヘンリー (65頃没) は,コートニー家のデボン伯エドワードをエリザベス王女 (のちの1世) と結婚させ,メアリー1世を廃位しようとする陰謀をたくらんだが発覚し,亡命ノーサンバーランド公の息子たちのうち,3男アンブローズ (28?~90) は 61年ウォリック伯を授けられ,ユグノー支援のためフランスに派遣され,73年には枢密顧問官に登用された。5男でのちのレスター (伯)ロバートはエリザベス1世の寵臣となり,その子ロバート (74~1649) は海軍軍人として 96年2代エセックス (伯)のカディス遠征にも参加し,のちエセックス伯の反乱に関連してイタリアに亡命。その後 18世紀にいたり,1757年ウォード家を継いだ一族のジョン・ウォードが 63年ダッドリー・ウォード子爵家を創始し,その孫でカニング内閣の外相 (1827~28) をつとめた4代子爵ジョン・ウィリアム (1781~1833) は,1827年エドナム子爵家およびダッドリー伯家を興し,その没後一時ダッドリー伯家は絶え,ジョンの又従兄弟の子,ウィリアムが 60年新たにエドナム子爵家およびダッドリー伯家を興した。この家系が,1740年以来のダッドリー男爵家とともに現在にいたる。

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