ダッドリー(読み)だっどりー(英語表記)Dud Dudley

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダッドリー」の意味・わかりやすい解説

ダッドリー
Dudley

イギリスイングランド中部,ウェストミッドランズ地域西部の地区。バーミンガムの西約 15kmの丘陵地帯に位置する。サクソン人(ザクセン人)によって 8世紀頃築かれた城を中心に集落が形成され,中世には市場町として発展。また豊かな石炭資源のほかに,鉄鉱石石灰岩にも恵まれ,早くからそれらの採掘が行なわれており,17世紀までには採炭と鉄冶金により重要な工業中心地となった。18世紀に入って石炭が鉄の製錬に用いられるようになると製鉄中心地として急速に発展し,1870年頃銑鉄の生産がピークに達した。周辺一帯も工業地帯として発展したが,それに伴って工場廃棄物や煤煙に覆われ大気汚染が進んだため,「ブラックカントリー」と呼ばれるようになり,しばしばその「首都」といわれた。釘,チェーンなどの金属製品やガラスなどの製造も盛んとなり,製鉄業は衰えたが,製鋼,機械,衛生陶器,煉瓦衣料皮革などの工業が発達する工業都市となっている。面積 98km2。人口 30万5164(2001)。

ダッドリー
Dudley, Edmund

[生]1462頃
[没]1510.8.18. ロンドン
イギリスの財務行政官。国王ヘンリー7世に登用され,王の治世早々から枢密顧問官に任じられ,R.エンプソンとともに財務管理官として容赦なく課税罰金取立てを強行,王室財政を富ませたが国民恨みを買った。 1504年下院議長。ヘンリー8世の治世になると投獄され (1509) ,反逆罪をもって処刑された。獄中で『共和国の樹』 Tree of Commonwealthを執筆,絶対王政を擁護した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダッドリー」の意味・わかりやすい解説

ダッドリー
だっどりー
Dud Dudley
(1599―1684)

イギリスの発明家。大領主の父が所有する製鉄所の経営を任され、木炭高炉で石炭を燃料とすることに着想、成功したが、周囲の製鉄場主たちの反対で高炉を破壊されたと自ら語っている。ピューリタン革命(1642)が勃発(ぼっぱつ)して、王党派の彼は逃亡生活を送り、この発明をふたたび試みる機会がなかった。1665年『メタルム・マルチス』(軍神の金属)を執筆して、イギリスの森林荒廃を憂慮し、石炭製鉄の重要性を説いた。それから50年後、A・ダービーが石炭からつくったコークスを高炉の燃料とすることに成功した。

[中沢護人]

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