改訂新版 世界大百科事典 「ダンマゼーディー」の意味・わかりやすい解説
ダンマゼーディー
Dhammazedi
生没年:?-1492
ビルマ(現,ミャンマー)南部,ペグーを都とするモン族の国ペグー朝の第16代国王。在位1459-92年。パーリ語の称号はラーマディパティ。アバ朝の都アバで出家生活を送っていたが,ティーハトゥ,モーニンなどアバ朝の歴代国王の妃として人質生活を送っていたペグー朝のラーザダリ王の娘シンソーブShinsawbuに頼まれて逃亡の手引きをし,内僚比丘のダンマニャーナとともにペグーへ脱出した。ビンニャチャンドーという名でペグー朝の女王に即位したシンソーブが7年後引退すると,請われて還俗,シンソーブの王女と結婚して1459年即位した。数多くの宗派に分裂して対立抗争を続けていた仏教教団の浄化,統一を図り,76年長老比丘22名をセイロンに派遣した。マハービハーラ(大寺)派の法式にのっとって受戒したモン族比丘22名は,途中遭難殉教した6名を除いて翌年帰国,ペグー郊外のザインガナインに新しい結界を創建,それまで不統一に行われていた受具の作法を大寺派伝承の正しい法式に統一した。ここにパガン時代以降300年間続いたシン・アラハン系のビルマ僧伽(そうぎや)とサパタ系のセイロン僧伽との対立抗争もようやく終息した。ペグー南郊のカルヤーニ戒壇址には,結界創建の経緯を79年にモン,パーリ両語で記したダンマゼーディー王の石碑の破片が現存している。王の治世,国内は平穏であったが,92年王は皇太子ビンニャーヤンの手にかかって命を失った。
執筆者:大野 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報