ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャーハマーナ朝」の意味・わかりやすい解説
チャーハマーナ朝
チャーハマーナちょう
Chāhamāna
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?~1194頃
チャウハーン朝ともいう。インド,ラージャスターン地方の王朝。ラージプートの王朝とされている。10世紀にシャーカンバリー(現サンバール)を拠点に衰退期のプラティーハーラ朝から独立。その後アジメール城を創建し,12世紀後半デリーを征服して最盛期を迎えた。そのなかで現れたプリトゥヴィーラージャ3世は一時はゴール朝軍を撃退,しかし1192年の第2次タラーインの戦いで敗れ,王朝も事実上滅亡。このことがムスリム軍の北インド征服の端緒となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…インドのラージャスターン地方の王朝で,ラージプートの王朝の一つに数えられる。チャーハマーナChāhamāna朝ともいう。9世紀にジャイプル地方に興り,プラティーハーラ朝衰滅後アジュメール地方を征服して有力になった。12世紀後半デリー地方に進出して,プリトビーラージ(在位1177‐92)はゴール朝の侵攻を防いだが,1192年タラーイン(タラーオリー)の戦で敗死し,王朝は事実上滅びた。これがムスリム(イスラム教徒)軍隊のインド征服の端緒となった。…
※「チャーハマーナ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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