プリトビーラージ(その他表記)Pṛthvīrāj

改訂新版 世界大百科事典 「プリトビーラージ」の意味・わかりやすい解説

プリトビーラージ
Pṛthvīrāj
生没年:?-1192

インド,ラージプート諸王朝の一つチャウハン(チャーハマーナ)朝の王。在位1177-92年。武将の誉れ高く,都のアジュメールを中心にラージャスターンからガンガーガンジス)上流域におよぶ領土を支配した。1191年,プリトビーラージはラージプート連合軍を率いタラーインTarāinの地でゴール朝ムハンマドの軍を撃退したが,翌年の第2次タラーインの戦ではムハンマド軍に敗れ,捕らわれ殺された。彼の死によって最後の防波堤が崩れ,イスラム教徒によるインド支配への道が開かれた。当時,彼とならぶラージプート族の有力武将であったカナウジのジャエチャンドJaycand王(ガーハダバーラGāhadavāla朝)は,プリトビーラージの名声をねたみ,また彼にまな娘を奪われたことを恨み,タラーインの戦を傍観した。初期ヒンディー文学の傑作として知られるチャンド・バルダーイーの《プリトビーラージ・ラーソー》は,この王の武勇と,ジャエチャンド王の娘との恋愛をテーマとしたものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プリトビーラージ」の意味・わかりやすい解説

プリトビーラージ
Prithvīrāj

[生]?
[没]1192
インド,ラージプート族のチャーハマーナ朝 (チャウハーン朝) の王。 1191年ラージプート連合軍を率いてゴール朝のムハンマド (→ムハンマド・ゴーリー ) の侵入を阻止したが,翌年の再侵入に敗れて捕われ殺された。これによってイスラム教徒のインド支配への道が開かれた。彼とカナウジのジャイチャーンド王の美しい娘との恋は多くの物語詩に歌われ,ヒンディー文学初期の代表作品『プリトビーラージラーソ』 (チャンド・バルダーイー作) は,その一つである。

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世界大百科事典(旧版)内のプリトビーラージの言及

【ゴール朝】より

…その際には,インド北西部ムルターンにいた異端のイスマーイール派を倒すとの大義名分を掲げていたが,直接の目的はガズナ朝同様,インドの富にあった。1191,92年の2度にわたる,パンジャーブのデリー近くのタラーインの戦で,プリトビーラージを中心とするラージプート連合軍を破って,北インドにムスリム支配の基礎を築いた。彼は,北インドにアイバクほか有力な部将を置き支配を固めようとしたが,1206年,ラホールからガズナに帰る途中で暗殺された。…

【チャウハン朝】より

…9世紀にジャイプル地方に興り,プラティーハーラ朝衰滅後アジュメール地方を征服して有力になった。12世紀後半デリー地方に進出して,プリトビーラージ(在位1177‐92)はゴール朝の侵攻を防いだが,1192年タラーイン(タラーオリー)の戦で敗死し,王朝は事実上滅びた。これがムスリム(イスラム教徒)軍隊のインド征服の端緒となった。…

※「プリトビーラージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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