ツイシカリ場所(読み)ついしかりばしよ

日本歴史地名大系 「ツイシカリ場所」の解説

ツイシカリ場所
ついしかりばしよ

近世の場所(持場)名。イシカリ十三場所の一。天保郷帳には「イシカリ持場」のうち「トイシカリ」とみえる。享保十二年所附によると、「つい石狩」はシャクシャインの戦鎮圧の功績者松崎太次右衛門の知行所。近藤重蔵本「西蝦夷地分間」の知行所付ではカミツイシカリが松前(松前藩家老)しもツイシカリが松前三太夫の知行所。カミツイシカリは江別川が石狩川に合流する地点「伊別満多」(支配所持名前帳)が所付変更されたもので、ツイシカリ川上流の現札幌市域とされる。家数一〇・人数三一、乙名シレマフカ・小使サケアシ。請負人は松前の近江屋、運上金二〇両。産物は鱒・カラ鮭。小名に「ヱシヤリ」(漁)があげられている。下ツイシカリはツイシカリ川(現世田豊平川)の石狩川合流点にあたる。家数八・人数二五、乙名セリホクノ・小使ヌカルベコル。請負人は松前の斎藤屋、運上金三五両。産物はカミツイシカリと同じで、小名に「サツボロ」がある。

「西蝦夷地場所地名等控」には「石狩トマヽエ」に「下ツイシカリ」の肩書があり、「下ツイシカリ」は「トマヽエ」を含んでいた。松崎太次右衛門の給地で、請負人は松前の薬屋太兵衛、運上金二二両。アイヌ二八人。「蝦夷草紙別録」によると松崎家が知行しているのは「トママイ場所」で、乙名カリホクノ・脇乙名ヌカルベコル・小使ビシユンミ。請負人は松前の薬屋太兵衛、運上金二〇両であった。松前貢家知行は「松前随商録」には「ツヒシカリ」とあり、「右シツカリ事歟」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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