20世紀日本人名事典 の解説
デニソン ヘンリー・ウィラード
デニソン ヘンリーウィラード
Denison Henry Willard
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1846年5月11日
- 没年
- 1914年7月3日
- 出生地
- 米国バーモント州ギルドホール
- 主な受賞名〔年〕
- 旭日中綬章〔1888年〕,勲二等旭日重光章〔1894年〕,勲一等瑞宝章〔1895年〕,旭日大綬章〔’02年〕,旭日桐花大綬章〔’14年〕
- 経歴
- 1869年に来日し、横浜米国領事裁判所判事となる。11年副領事で同所を退任したのち横浜で弁護士を開業するが、領事裁判権制度に疑問を感じ、1880年万国公法副顧問として外務省の御雇い外国人となった。1885年より開始された条約改正会議で功を立て、1888年旭日中綬章を受章。1889年法律顧問に役職変更、主に外交文書の起草に従事するが、外交問題の枢機に携わることも多く、条約改正交渉や日清戦争の戦時外交などで活躍し、日本政府から絶大な信任を受けた。1895年日清戦争の下関講和会議に随行し、戦後の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。’02年日英同盟問題では日露協調派の井上馨の説得に動き、同盟締結に大きく貢献。さらに日露戦争後のポーツマス講和会議にも列席した。また、’00年より日本政府の指定によりヘーグの常設仲裁裁判所裁判官を兼任。生涯に日本の外交に関与・尽力した功績は大きく、’14年に死去したのち生前の功績によって旭日桐花大綬章を授けられ、その葬儀には時の大隈重信首相以下多くの大官貴顕が参席した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報