デュセルソー(英語表記)Jacques Androuet du Cerceau

改訂新版 世界大百科事典 「デュセルソー」の意味・わかりやすい解説

デュ・セルソー
Jacques Androuet du Cerceau
生没年:1510ころ-85

フランス・ルネサンスの建築家,建築理論家。16~18世紀に活躍した建築家一族デュ・セルソー家の祖。イタリアで古典建築を調査・研究。帰国後,収集した資料とスケッチをもとに古典建築図集を次々に公刊するが,新教徒だったため設計の注文に恵まれなかった。しかしルイ12世の娘ルネ・ド・フランスの庇護の下で設計・研究を続け,図集《フランス建築精華集》(1576-79)を著す。長男バティストBaptiste Androuet du Cerceau(1544ころ-90)は父の意志を継ぎ,宮廷建築家として活躍した。次男ジャック2世Jacques Ⅱ Androuet du Cerceau(1550ころ-1614)とバティストの子ジャン1世Jean Ⅰ Androuet du Cerceau(1590ころ-1650ころ)も著名な建築家で,パリで活動した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュセルソー」の意味・わかりやすい解説

デュ・セルソー
Du Cerceau

16世紀から 17世紀に活躍したフランスの建築家,装飾家の一族。始祖はジャック (1515~90) で,イタリア留学後,パリやオルレアンで活躍。著書に『建築論』 Livre d' architecture (59) があるが,むしろ図集『フランス名建築集』 Les plus excellents bastiments de France (76~79) で有名である。長男ジャン・バティスト (1545頃~90) は 1578年以降,P.レスコー後任としてルーブル宮殿の建築家となり,のちに王室首席建築家となった。パリのボン・ヌフ (78) は彼の設計による。次男ジャック2世 (1550~1614) も王室建築家となり,ルーブル宮殿のグランド・ギャラリー,パリのボージュ広場などを設計。バティストの子ジャン (1590頃~1649) はルイ 13世の建築家となり,パリにオテル・ド・ブルトンビリエなどの居館を設計,またフォンテンブロー宮に造った馬蹄形階段 (1634) のデザインで有名である。

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