トーゴランド

百科事典マイペディア 「トーゴランド」の意味・わかりやすい解説

トーゴランド

西アフリカギニア湾岸にあった旧ドイツ保護領。西はイギリス領ゴールド・コースト(現ガーナ),東はフランス領ダホメー(現ベナン),北はフランス領オート・ボルタ(現ブルキナ・ファソ)に接していた。南北に細長い地域で,約9万600km2。1884年ドイツ保護領。第1次大戦後西部英国東部がフランスの国際連盟委任統治領。イギリス領はガーナ併合,フランス領はトーゴとして独立
→関連項目ロメ

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旺文社世界史事典 三訂版 「トーゴランド」の解説

トーゴランド
Togoland

西アフリカのギニア湾に面した地域
近世から奴隷海岸と呼ばれ,奴隷貿易基地。1885年のベルリン会議でドイツの支配権が認められた。第一次世界大戦後,西部はイギリスの,東部はフランスの委任統治領として分割され,第二次世界大戦後,信託統治領に移行。1957年西はガーナと合体,東は60年トーゴ共和国として独立。

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世界大百科事典(旧版)内のトーゴランドの言及

【ガーナ】より

…正式名称=ガーナ共和国Republic of Ghana面積=23万8533km2人口(1996)=1690万人首都=アクラAccra(日本との時差=-9時間)主要言語=英語,多くの民族語通貨=セディCedi西アフリカのギニア湾沿岸ほぼ中央部に位置する国。イギリス植民地時代はゴールド・コーストGold Coast(黄金海岸)と呼ばれていたが,第2次世界大戦後,1957年にブラック・アフリカ植民地の先頭を切って独立した際,かつて西アフリカに栄えた古代ガーナ王国(実際には現在のマリ,モーリタニアのあたりに位置していた)の名をとって国名とした。…

【トーゴ】より

…ドイツのこの地域への支配権は85年のベルリン会議で承認され,97年のパリ条約でフランス領ダホメー(現,ベニン人民共和国)との,99年のサムア条約でイギリス領ゴールド・コースト(現,ガーナ共和国)との境界がそれぞれ確定された。こうしてドイツ領トーゴランドTogolandが成立したが,97‐98年の北部の反乱など,現地住民は激しく抵抗した。ドイツは主都に定めたロメの都市・港湾建設,カカオなど換金作物の導入,鉄道・道路建設など急テンポで経済開発を行い,トーゴランドはドイツのモデル植民地となったが,北部はこの開発からとり残された。…

※「トーゴランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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