ボルタ(読み)ぼるた(英語表記)Count Alessandro Volta

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルタ」の意味・わかりやすい解説

ボルタ
ぼるた
Count Alessandro Volta
(1745―1827)

イタリアの物理学者。イタリア北部のコモに生まれる。同地の王立学院を卒業し、1774年にそこの物理学教授、5年後にはパビア大学の自然哲学教授になった。さらに1815年パドバ大学に迎えられその理学部長を兼務した。

 初め詩や散文など文学に深い関心をもっていたが、ルクレティウスの『物の本質について』を読んで感銘を受け、自然探究への志を強くした。18歳ごろから静電気学の研究に進み、当時この分野の権威であったノレJean-Antoine Nollet(1700―1770)やベッカリーアGiambatista Beccaria(1716―1781)に文通を通じて指導と多くの示唆を受けた。1769年、最初の論文「電気火の引力について」をベッカリーアへの手紙の形で発表した。以後、空中電気の測定を含め静電気の研究を進め、電気盆、蓄電器検電器など一連の電気機器を考案した。また、同じころに沼気(メタン)の研究などの気学の研究も行っている。

 イタリアの解剖学者ガルバーニが有名な「カエルの実験」によって動物の体内に電気発生の機構が存在すると結論し、10年に及ぶその研究結果を1791年に発表すると、ボルタはただちにこの問題に取り組んだ。初めガルバーニの説を受け入れていたが、追試などの検討を経て、やがてそれを否定し、異種金属の接触自体に電気発生の原因を求めた。動物電気論者との論争を行いつつ、1794年から1797年にかけて、彼は自分の考案した精密な検電器を使って種々の異種金属間の接触によって生じる電気量を測定し、金属の電気列(電気化学列)をみいだし、接触電位差の考えに到達した。こうして1799年に、銅板と亜鉛板の間に湿った布を挟んだものを何十組も重ねて有名な「ボルタの電堆(でんたい)」をつくり、さらに銅と亜鉛を希硫酸溶液に浸した電池を発明し、翌1800年それをイギリスの王立協会に報告した。この発明は、持続的な定常電流の獲得を可能にすることによって、その後の電磁気学や電気化学の発展を招来する画期となった。1801年、ボルタはアカデミー・フランセーズの大集会でナポレオンを前にして電気実験を供覧した。このときナポレオンは彼に金メダルと勲章を贈り、のちに伯爵の称号を与えた。彼は王立協会からその会員に推挙されるとともにコプリ・メダルを受け、フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を贈られるなど数々の栄誉のうちに、1827年3月5日に郷里のコモで没した。

[井上隆義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルタ」の意味・わかりやすい解説

ボルタ
Volta, Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio, Conte

[生]1745.2.18. コモ
[没]1827.3.5. コモ
イタリアの物理学者。コモ高等学校教授 (1774) ,パビア大学教授 (79) ,パドバ大学哲学部長 (1815) 。 1775年電気盆を,81年検電器を発明。 97年ガルバーニ電気が生物体に関係なく金属だけで電流が得られることを示した。これがきっかけで動物電気説を唱えるものとの論争が起ったが,1800年ボルタ電堆およびボルタ電池の発明によってボルタの説は不動の勝利を得た。電位の単位ボルトは彼の名にちなんだもの。ほかにメタンガスの発見 (1778) でも知られている。

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