ドイツ国民に告ぐ(読み)どいつこくみんにつぐ(その他表記)Reden an die deutschen Nation

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドイツ国民に告ぐ」の意味・わかりやすい解説

ドイツ国民に告ぐ
どいつこくみんにつぐ
Reden an die deutschen Nation

哲学者フィヒテがフランス軍占領下のベルリンで敢行した講演。1807年12月13日からベルリン学士院講堂で翌年3月まで毎日曜日夕方、計14回行われた。彼はここでフランス文化に対するドイツ国民文化の優秀さを説き、これを国民全体に広め国民精神を涵養(かんよう)することがドイツ再興の道であると説いた。その主張に含まれている民主主義的、共和主義的要素のゆえにこの講演は長い間再版を禁止されてもいるが、イエナ敗戦に続くティルジットの屈辱的講和によってナポレオン支配下に置かれた当時のプロイセンとドイツの状況のなかでは、むしろ国民精神を発揚し精神的に解放戦争を準備する大きな力となった。

[岡崎勝世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ国民に告ぐ」の意味・わかりやすい解説

ドイツ国民に告ぐ
ドイツこくみんにつぐ
Reden an die deutsche Nation

ドイツの哲学者 J.フィヒテ演説。彼は 1807年から翌年にかけて,ナポレオン占領下のベルリンにおいてこの連続講演を行い,国民の覚醒を促した。これがドイツのナショナリズムに与えた影響は大きかった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドイツ国民に告ぐ」の解説

『ドイツ国民に告ぐ』(ドイツこくみんにつぐ)
Reden an die deutsche Nation

フィヒテが1807~08年の冬にベルリンで行った講演。ドイツ人を本源的民族とし,教育によるその精神的覚醒を望み,ペスタロッチを援用しつつ自己の国民教育論を展開している。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドイツ国民に告ぐ」の解説

ドイツ国民に告ぐ
ドイツこくみんにつぐ
Reden an die deutsche Nation

ドイツの哲学者フィヒテが,1807〜08年,フランス軍占領下のベルリンで行った講演
プロイセン復興のために,愛国的国民感情を呼びかけ,当時の国民主義ロマン主義に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のドイツ国民に告ぐの言及

【フィヒテ】より

…自我中心主義を純粋に守った点でフィヒテこそドイツ観念論の唯一の哲学者とみなす解釈者もいる。倫理思想への〈衝動〉概念の導入,個人の自由を中心とした法哲学の体系化,ドイツの国民意識の鼓吹(《ドイツ国民に告ぐ》1808)によって,同時代のロマン主義,共和主義,国民主義に大きな影響を与えた。貧困に終始苦しめられたフィヒテには独自の社会主義的構想(交易の国家管理)もあり,M.ヘスに影響がみられる。…

【ベルリン】より

…1806年,ナポレオンはこのブランデンブルク門からベルリンに入り,11月21日,有名な大陸封鎖令を宣言,ベルリンは以後2年間にわたりフランス軍の占領下におかれた。この占領期およびその直後のベルリンは,フィヒテの連続講演《ドイツ国民に告ぐ》(1806‐07)やF.L.ヤーンによる体操場の設置(1809年,市郊外のハーゼンハイデ)などを通じて,ドイツ国民意識高揚の中心地の一つとなり,1810年にはドイツ再建の精神的支柱とすべく,K.W.vonフンボルトの尽力によってベルリン大学が設立された。このベルリン大学では19世紀前半には,A.vonフンボルト,グリム兄弟,ヘーゲル,ランケが教えるなどドイツのアカデミズムの新しい中心となり,1836‐41年にはマルクスも学んでいる。…

※「ドイツ国民に告ぐ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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