ドゥルクリガルズ(英語表記)Dur Kurigalzu

改訂新版 世界大百科事典 「ドゥルクリガルズ」の意味・わかりやすい解説

ドゥル・クリガルズ
Dur Kurigalzu

イラクバグダードの西約20kmにある都市遺跡。現在名アカル・クーフ`Aqar Qūf。高さ50m以上もあるジッグラトで有名。その名の意〈クリガルズ要塞〉が示すようにカッシートの王クリガルズが王都兼要塞として新しく建設した町。この王がクリガルズ1世(第17代?。在位年不詳)か同2世(第22代。在位,前1332-前1308)かについては定説がない。1942-45年のイラク政府の発掘によりジッグラトの基礎部分のほか,神殿や王宮跡が見つかっている。また200以上の碑文史料が出土し,カッシート時代研究の重要な史料の一部になっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドゥルクリガルズ」の意味・わかりやすい解説

ドゥル=クリガルズ
Dur-Kurigalzu

イラクの首都バグダードの西方 15kmにあったバビロン第2王朝の首都,要塞都市。現アカルクフ。クリガルズ1世 (在位前 15世紀後半~14世紀前半頃) あるいはクリガルズ2世 (在位前 1345頃~24頃) により建設されたという。 1943~45年の発掘により,非常に目立つジッグラト1基 (中心部のみ残存) ,神殿,彩色壁画のある宮殿,角列柱のある回廊などが明らかにされた。神殿に奉納された宝物のなかには,等身大のクリガルズ2世像があり,王宮の宝物殿からは,装飾のある儀杖,金製腕飾りなどバビロン第2王朝の芸術を代表する作品が数多く発見されている。

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世界大百科事典(旧版)内のドゥルクリガルズの言及

【カッシート】より

…第15~21代の王たち,なかでもカダシュマンエンリル1世(第18代?,在位,前1374‐前1360)とブルナブリアシュ2世(第19代?,在位,前1359‐前1333)の時代はアマルナ文書の時代に当たり,カッシート王朝下のバビロンはエジプト,ヒッタイト,ミタンニおよびアッシリアなどと肩を並べる勢力となっていた。クリガルズ2世(第22代)以下カシュティリアシュ4世(第28代)までの時代(前1332‐前1225)は,王都ドゥル・クリガルズを中心に活発な商業活動がみられ,それを証する経済文書や書簡の類が多く残っている。その後,カッシート王朝は約9年(前1225‐前1217)アッシリアの支配を受けるが,やがて独立を回復し,前1155年エラム人によって滅ぼされるまでさらに5代の支配が続いた。…

※「ドゥルクリガルズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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