ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナーシル・ウッディーン」の意味・わかりやすい解説
ナーシル・ウッディーン
Nāṣir al-Dīn Shāh
[没]1896.5.1. テヘラン
イラン,カージャール朝第4代の王 (在位 1848~96) 。父ムハンマド・シャーの没後,若くして即位。宰相ミールザー・タキー・ハン (→アミーレ・カビール ) の補佐を受け進歩的な財政・軍事改革に着手したが,タキー・ハンの失脚後は,対外的には絶対専制君主として統治した。 1856年ロシアのあと押しで,アフガニスタンのヘラート併合を策したが,イギリスの圧力により,57年のパリ条約でアフガニスタン王国を承認,シースターンとバルチスタン方面においても国境が画定された。対内的には,拡大しつつあったバーブ教運動を 50年のバーブの処刑とその後の弾圧によって抑圧し,またヨーロッパの近代的な諸制度や諸科学を取入れて,治安の確保に努めた。しかし,その独断的な専制政治と3度のヨーロッパ旅行などによる国庫の枯渇は,国民の反感を買い,96年暗殺された。
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