朝日日本歴史人物事典 「ハイトケンペル」の解説
ハイトケンペル
生年:1843.12.31
明治期に来日したドイツの製靴技術者。ブーフホルツ出身。和歌山藩は洋式軍制を取り入れ,ドイツからカッペンらの軍事教官を招いたが,それまでの草鞋に代わる軍靴の補給のため,明治4(1871)年ハイトケンペルを雇って革靴の生産を企てた。これには士族授産の目的もあり,廃藩後も民間事業として継続された。8年5月大阪に移り,藤田組,大倉組に就職して,製造指導に当たった。のち独立して貿易商社を起こしたが失敗,カナダを経てドイツに帰ったが,再び来日,神戸で困窮のうちに病没。明治の「富国強兵」策の一端をお雇い外国人として担った人物。<参考文献>重久篤太郎「和歌山藩におけるドイツ人」(『お雇い外国人』14巻)
(中井晶夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報