日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドープシュ」の意味・わかりやすい解説
ドープシュ
どーぷしゅ
Alfons Dopsch
(1868―1953)
オーストリアの歴史家。ボヘミアの小都市ロボジッツに生まれる。1886年よりウィーン大学で歴史学を学び、さらにオーストリア歴史研究所のミュールバッハーE. Mühlbacher(1843―1903)の指導のもとに研究を深め、『モニュメンタ』のカロリング時代国王文書の編纂(へんさん)に従事した。93年よりウィーン大学の私講師、98年に員外教授、1900年から37年まで正教授としてオーストリア史と中世史の講座を担当した。この間、『中世オーストリア法制史古文書選』(1895、シュウィントと共編)、『オーストリア領邦君主領地代帳』(二巻、1904、10)等の史料の編纂・刊行を行ったが、中世史家としての彼の名声を不動にしたのは、『カロリング時代の経済発展』(二巻、1912、13、改訂版1921、22)、および『ヨーロッパ文化発展の経済的・社会的基礎』(二巻、1918、20)の二大著述である。前者は、荘園(しょうえん)制の意義を過大視するイナマK. Th. v. Inama Sternegg(1843―1908)やランプレヒトの見解を痛烈に批判し、後者は、ゲルマン民族の侵入が古代文化を破壊したとする通説に対し、古代文化の中世初期への連続的発展を主張し、あわせて古ゲルマン社会を原始共産制とみなす見解を否定したものである。彼の功績は、広い史料的基礎のうえに、経済史、法制史の通説的見解を完膚なきまでに批判した点にあるが、とくに後者(『諸基礎』)においては、文書史料のみでなく、考古学、定住史学、比較言語学等の成果を援用して中世史研究の新しい方法を開いたことも見逃せない。
[平城照介]
『A・ドプシュ著、野崎直治・石川操・中村宏訳『ヨーロッパ文化発展の経済的・社会的基礎』(1980・創文社)』