20世紀西洋人名事典 「ハイレ・セラシエ1世」の解説
ハイレ・セラシエ1世
Haile Selassie I.
1892.7.23 - 1975.8.27
エチオピア国籍。
元・エチオピア皇帝。
ハラル州生まれ。
本名ラス・タファリ・マコンネン〈Ras Tafari Makonnen〉。
1910年ハラル州知事となる。’16年メネリク2世の娘ザウディトゥ女帝の摂政となり、’30年女帝の死去にともない皇帝に即位。憲法制定、奴隷解放制度廃止、教育の普及などに努める。’36年イタリア軍の侵略でイギリスへ亡命、’41年帰国し、復位。’58年対日友好条約に調印。’63年にはアフリカ統一機構(OAU)設立、’67〜70年ナイジェリア内戦、’72年スーダン内戦などの解決に尽力したが、国内では保守的支配層保護政策を続ける。’74年皇帝独裁に対するクーデターにより、廃位、軟禁され、翌’75年死去。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報