バルラン(英語表記)Eugène Varlin

改訂新版 世界大百科事典 「バルラン」の意味・わかりやすい解説

バルラン
Eugène Varlin
生没年:1839-71

フランスの労働運動の指導者。小農の子として生まれ,パリに出て製本工となる。1862年のロンドン万国博覧会にフランス労働者代表団の一員として参加した。65年第一インターナショナル・パリ支部結成時に加入し,労働組合,消費協同組合,協同食堂などを組織した。68年第2次パリ支部結成に際してH.L.トランらにかわって指導的地位につき,69年フランス全土に広がったストライキを積極的に支援した。70年リヨン,ル・クルーゾ,リールなどでインターナショナルの組織化に努め,パリ支部連合を結成した。逮捕を避けるため一時ブリュッセルに亡命したが,9月第二帝政が崩壊するや帰国し,71年パリ・コミューン議員に選出された。コミューン議会内の対立に際しては少数派の立場をとった。コミューン最後までバリケード戦闘を指導し,5月28日逮捕され銃殺された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルラン」の意味・わかりやすい解説

バルラン
Varlin, Eugène

[生]1839. パリ近郊クレイスリイ
[没]1871.5.28. パリ
フランス,第二帝政期の革命家。 1864年第1インターナショナル創立に際して,フランス支部の事務長をつとめ,ジュネーブ会議ではインターナショナルの規約草案作成に参加した。 71年2月国民議会議員,国民衛兵中央委員となり,3月 18日のパリ・コミューン蜂起後は国民議会の中央委員をつとめ,「血の1週間」のレジスタンスを組織したが,5月 28日銃殺された。

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世界大百科事典(旧版)内のバルランの言及

【ビザンティン文学】より

…その際,古代末期の伝統に立っているのが,アイソポスの名を冠した寓話文学作品,カリステネスの名を冠したアレクサンドロス大王伝説である。その素材がオリエントにさかのぼるのが,仏陀伝説に基づく《バルラームとヨアサフ》,サンスクリット文学の《パンチャタントラ》のギリシア語版《ステファニテスとイクネラテス》,ヘレニズム的な枠小説のなかにペルシア起源の要素をとりこんだ《シュンティパス》などである。ビザンティン帝国東部国境でのイスラム教徒アラブとの軍事対決を背景として,《アルムリスの歌》以下の叙事詩的歌謡,そしてなかでもイスラム教徒とキリスト教徒の二つの家族の血を引く英雄を主人公とした《ディゲニス・アクリタス》が生まれる。…

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