改訂新版 世界大百科事典 「パウロ派」の意味・わかりやすい解説
パウロ派 (パウロは)
Paulicians
ビザンティン帝国の二元論的異端。パウリキアノイ派とも呼ばれる。起源は不明だが,アルメニアでおこったことは確実で,最初はキリスト養子論を奉じていたが,7世紀に帝国の東部に拡大したころには,マニ教的二元論を採用していた。パウロ派の名称は使徒パウロまたはサモサタのパウロスに由来するとされるが,7世紀末の教団再建者パウロスの名をとったものであろう。7世紀後半のコンスタンティノス4世の時代に弾圧にさらされ,8世紀前半には主力がイスラム教徒支配下のマナナリ地方に移住した。この時代からパウロ派は分裂をくりかえし,一部はイスラム軍と結んでビザンティン帝国に軍事干渉を行った。小アジアのパウロ派は9世紀後半に衰退した。アルメニアでは10世紀末からトンドラケチ(ワン湖北方のトンドラク地方に由来する名称)と呼ばれる分派運動がおこった。トラキアとブルガリアのパウロ派はのちにボゴミル派異端を生んだ。パウロ派は既成の教会制度や典礼,特にイコンを否定したため,恐るべき異端として迫害にさらされた。なお,3世紀の異端的神学者サモサタのパウロスの信奉者のこともパウロ派と呼ぶが,ビザンティン帝国のパウロ派とは無関係であったと考えられる。
執筆者:森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報